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おわかれ

お弁当を作り終えて、さあ、朝食をと思ったら、犬が亡くなったという連絡が娘からやってきて、慌てて駆けつける。
まだ温かいその身体を温かさが消えていかないようにと願うようになでる。
泣きながら、火葬の手配をして、また泣いて、仕事に行く。
娘は泣き通しだ。

仕事を早めに切り上げて、自宅に戻ると火葬は終わり、娘が犬の祭壇みたいなものを作っていて、そこで南無南無して、娘の淹れてくれた温かい紅茶を飲みながら、一緒に犬の写真を見たり犬の話をして、泣いたり笑ったりして2時間ぐらい一緒に過ごす。

「お母さん」って呼んでくれる(実際には、そういうニュアンスで私の所にやってきたり、見上げたりするだけだが)ものがいなくなるって、ものすごくキツイなと思ったり、いや、そんなことどうでもよくて、ただただ不在が信じられなかったり、色々とぐるぐる廻る。

Facebookにその報告をアップしたのは、そこにあげれば1年後、2年後に、「1年前にこんなことがありました」みたいな脳天気なメッセージがFacebookから送られてくることを待つためだ。
そんなものがどうして見たいと思うのか、自分でもよくわからない。

多分、人はどんなに忘れないようにしようと思っていても、大切なことだって結構忘れてしまうのだ…と50年近く生きてきてわかってきたからだと思う。

こうして日記を書きながら、辛い‥といよりも、ただただ悲しいだけだな‥と自分を観察していたりする。

この悲しいのがずっと続けばいいのに‥と思う。
でも、きっとまた日常にすぐもどってしまうのだろう。

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コメント

その後いかがお過ごしでしょうか。
ほぼ日の糸井さんも最近愛犬のブイちゃんを亡くされて、しばらくは今日のダーリンも悲しみとブイちゃんへの愛が滲み出ておられました。
我が家は愛犬ではなくまだ1歳数ヶ月の愛猫ですが、いつか必ずやってくる別れの時を思うと、糸井さんの想いと重ねてしまい、涙してしまうような文章でした。
慰めになればと思い、私にズキューンときた糸井さんの言葉をおくります。
「犬というのは犬という形をした愛だ、という思いが、ブイヨンが旅立ってしばらく経ってさらに強めています。
だからそこにブイヨンはいなくても、愛は確実に残っているのだ」
元気出してください。

投稿: みてます | 2018年4月24日 (火) 23時34分

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