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2018年4月

朝の生産性

連休ということのリラックス効果なのか、公園やトレッキングの自然の力による癒やし効果なのか、気力体力ともに全体に落ち着いている感じ。
青空が続いているのもお天気に影響されやすい私には有り難い。

  エネルギー配分を考えると、朝一番にFacebookにだーっと返信するのは、本当はやめたほうがいいのだが、その時間にやらないと誕生日メッセージを送るのを忘れてしまいがちで、なんとなくこの癖が抜け にくい。
RSSのチェックとブログのアクセスチェックは、最近は時間のあるときにする感じになってきた。
まぁ商用サイトでもないから、そのあたりはそもそも朝一番のエネルギーの高い時間にやる必要はなくて、単なる習慣になっていただけ。

エネルギーが最も必要なタスクは、私にとっては圧倒的にアウトプット。
このブログはだらだらと好き勝手に書いているだけだから、ほとんど推敲もしなのだが、仕事の方のブログは、それが唯一の営業兼プロモーションツールだから、そう思っただけで億劫になる。
中でも本のレビューは引用間違いが起こるとまずいので、引用登録の段階から疲れる。
サイトに載せると作家ご本人や出版社から、tweetされることもあることだし、時には直接お礼のコメントをいただいたりすることもあるので、気が抜けない。
だったら、止めればいいという意見もあるが、コーチングをそもそも知らない、興味のない人が書評で本のレビューでたまたまやってきて、コーチングを受けるというケースが結構あるので、プロモーションコストとしては、とても良いのだ。
しかも本のレビューは古いコンテンツでもロングテールで読まれていることがGoogleアナリティクスの分析からもわかっている。

アウトプットが疲れるという意味では、大学の課題もそうでインプットまではあまり苦にならないのだが、提出用に形を調えて試行錯誤しなくては‥と思うと、途端に面倒になる。
「もっと時間のある時にちゃんとやろう」などという言い訳を自分にし始めるが、時間のあるときは、時間があるから‥と後回し。
そもそもその手のエネルギーをたくさん使うタイプのタスクなどそう長い時間集中できるわけないのだ。
仕事のアウトプットは自分の中にある雑多な情報をまとめるだけだから、それほど疲れないが、大学通信教育は、法学部であれ、情報デザイン学部であれ、そもそも自分の中に中身がないものを資料を読んで、手探りで始め、なんとかキーワードを掴んで掘り起こしてという作業になる。
さらに自分のやっている方向性がそもそも全然トンチンカンなのでは?という不安が常に伴走するので、ストレスフルでもある。
今年、ほとんどタバコを吸わないようにしているのも、この無茶苦茶なストレスフルの時には、喫煙は我慢できまい‥と思っているので、我慢できるうちは吸わないでおこう‥などと考えているからだ。

 で、話を冒頭に戻すと、朝一番にとりあえずアウトプットから始めよう‥と、昨晩考え、今朝は苦手な本のレビューを書き始め、まぁとりあえず20分ぐらい書き出せた。
なんとなくリズムが出たので、もうちょっと書きたいな…と思って一気に書いたのが、 「お料理四年生:お気に入りのレシピサイト」だ。
軽い内容とは言え、その場で一本書ききるのって私には結構しんどいので、とりあえず書き上げられて我ながらビックリ。

   次いで、大学の課題で、私の最も苦手タイプの課題

「コンピュータのキーボード入力によって、記号や文字での図像「絵文字」を創造し てください。無数の星群から星座を見立てた古代人のように、自由に記号で遊んでください。」

はい?という感じである。
こういう自分の中から何かを引っ張ってイメージで表現‥というのは、私のように何でも活字で入るタイプにはかなり苦手。
なにが求められているのかさっぱりわからないのだ‥。

‥が、今朝はこれがなんとできてしまった。
いや、全然トンチンカンで方向性が違うのでは?と大いに不安ではあるが、何しろ、最初のレポート課題なので、とりあえず出して間違っているならどう間違っているかの指摘を受けないと無理だから、これでヨシとする。

 ということで、ものすごく生産性の高い朝だった。

でも、これって時間の使い方の話だけではなくて、多分、先日ブログに書いた 「NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる」にあるような自然の影響と、トレッキングによる運動の影響も多いような気がする。

 まぁ、何はともあれこのれ試行錯誤しながら、5月はエネルギー管理とアウトプットの量をどう高めるかが重要だな。
質はその後でいい。量が質に転じるのを待つのじゃ。

 

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自分に負ける

これまで、坂本には、失敗の経験がほとんどなかった。しかし、闘病の直後にハードワークをこなせる体力は戻ってなかった。集中力が持たず、神経が衰弱する。納期は迫る。

生まれて初めて「クビにしてくれ」と思い、単独での楽曲制作を諦めた。「僕は自分に負けたんです」という。

「やっと一人前になった」

彼はまた、新しい音を手に入れたのかもしれない。これまで知らなかった挫折を知って。

坂本龍一氏のインタビューからの引用

このインタビュー記事を読んで変な言い方だけれど、私はちゃんと自分に負けてこなかったということに気づかされた。
負けを認めないというのにニュアンスが近いのだけれど、ちょっと違う。
負けだとわかったら、「はいはい、負けましたよ」とあっさり認めてさっと素通りしたり、「これはこれでいい勉強になった」などときれいな布でぐるっと巻いてしまって、きれいな部分しか見ないのだと思う。
負けて一人前というのは、私の場合、負けてその苦痛をどっぷり味わったら一人前になるのかも‥とぼんやり感じた。

空が青い。
自分のオフィスから眺めるごちゃごちゃした外の風景が好きだ。
ごちゃごちゃしているので、少ししか空が見えないところも気に入っている。
広く空が見られるところはたまに行くととても気持ちいいが、ずーっとそういう場所にいるのはしんどいんじゃないかと思う。
隠れる場所がない。
全部自分が周囲から見えるというのは、多分苦手だと思う。
これは自分に自信がないということとつながっているんだろうな。

海外からきていたサッカーの監督が日本にいない間に突然解任され、その方が日本にきて記者会見を開いたというニュースが流れてきた。
一部に書かれている通り、雇っている日本側がまったくその人に問題点を話しておらず、いきなり解雇だとしたら、アメリカの会社だったら、労働争議になるのはもちろんだし、さらに、アメリカ人が最も嫌う「フェアじゃない」という話になるだろう。
問題のある従業員には、何が問題かを必ずフィードバックする。その際にどう改善すべきかを具体的に指示するかどうかはボス次第だ。
本人に考えさせるのは、上司の怠慢では決してない。
問題点を指摘したにもかかわらず、改善がみられないと判断されればアウトになる。
そもそも問題点の話し合いがなければ、それが本当に問題点として捉えることが正しいのかもわからないだろう。

でも、日本の会社だったらどうだろう?
上長から、「部下から色々不満が出ているようだよ。うまくやってくれ」みたいな曖昧な話が多いような気もするし、そもそもそれすらないこともあるだろう。
部下も不満をもらしているし、本人はわかっているはずだ…みたいなやつだ。

この種の明示されないコミュニケーションが、わからない人は「空気が読めない(=「仕事ができない」につながる)」と判断されることも多い。
こういったコミュニケーションは、同質性が高い場合にのみ機能するので、男性がマジョリティの会社で女性が苦労するケースの1つだ。
ここにまったく育った環境と文化の違う外国人が入ってきたら、それはもちらろん機能しないだろう。

この手の相手の気持ちを推し量らないと仕事が進まないという環境は、当然だが、相手と一緒に過ごす時間が非常に重要だ。
在宅勤務は無理、飲み屋のお付き合いもしないと本音が読めない‥、という話になるだろうし、そもそも相手の気持ちを思い巡らすという回答があるようなないようなのは、時間もかかるし、非常に疲れる。
もちろん生産性も上がらない。

「働き方改革」というのは、単純に制度やシステムを整えることではないんだよなぁ。。
そもそもJob Descripitonが決まっていないから、成果の測り方が、「頑張っている」「よくやってる」みたいな曖昧なものになってしまうという、それ以前の評価制度から考え直していかないと、あまり意味のないものになるだろう。

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人との深い関係

人と深い関係に入らないというのは、臆病だ…と責められたことがあるという話を、コーチングのセッションの中で何度か聞いたことがある。
ドラマや本にもありそうだし、そう珍しい話ではないだろう。
その話を聞いたときに、特に印象に残った記憶はないのだが、今朝メイ・サートンの「回復まで」を読んでいて、ふと思い出した。

そもそも「臆病」というのは人から責められたり、叱られたりするようなことなのか?
人と深い関係を持たないというのは、理由が臆病からであれ、何であれこれまた責められるようなことなのだろうか?

曇り空。
朝は野菜多めのリゾットをつくり、バタバタと洗濯をして、ベランダに干す。

微妙に仕事に関連するタスクが多い。
それから大学の課題も今日のようなアポイントのない日には片付けたい。
急がないけれど・・・というタスクが山のようにあり、気持ちが焦るが、焦って片付けなくても誰にも迷惑のかからないことばかりだ。
そんな時にタスクリストの山を見て、自分を追い詰めてバタバタすると周囲の大切な人たちに八つ当たりするばかりか、体調も悪くなるので、ゆっくりしようと、何度も自分に言い聞かせる。
休憩下手だ‥と我ながら思う。

諸事情あって、8時間近く家事に時間を取られる1日となった。
それでも日中に1時間以上は机に向かって、大学の勉強もできたので、満足感はある。
社会人の勉強は細切れ時間の活用‥というのが当たり前なのかもしれないけれど、資格試験の勉強とかならともかく、課題やテキストを足掛かりに、じっくりモノを考え、思考を深めたいという目的のための大学の勉強には、予習復習程度しか行えず、細切れ時間だと考えるというところまでたどり着けず欲求不満を感じるのだ。

 晩御飯は、野菜を使い切ろうと、大根と卵の煮物、そら豆ごはん、きゅうりサラダ(これがなぜかハマるぐらい美味しかった。NHKのきょうの料理のレシピサイトは、本当にすごい)、梅しそ豚しゃぶ。キッチンの狭さと私の料理の腕の問題で1時間以上かかってしまったが、美味しかった。
それはいいのだが、19時前に食事を終えたというのに、疲れきってしまっている。
5時に起きているからというのもあるかもしれないけれど、もうちょっとエネルギー残せないものかな‥と思う。

 toggleで使った時間を見ていると、30分とか1時間とかもっと空けられるな‥と思う箇所はいくつかあるのだが、じゃぁその空けた時間に合わせて、使えるエネルギーが残っているかというとそううまくはいかず、時間はあるが、気力・体力がない‥ということになりがちで、ネットサーフィンとか、マンガを読んでいたりする(まぁ、マンガは満足度高いからいいんだけど、ネットサーフィンって虚しいのよね‥)





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平塚市美術館と派遣のお仕事

ノンノン(26歳一人娘)と平塚市美術館へ。

21世紀の美術 タグチ・アートコレクション展 アンディ・ウォーホルから奈良美智まで

岡村桂三郎展-異境へ

平塚駅から20分ぐらい歩くのだが、道路が広くてあちこちに緑があり、平日の午前中というせいか、人も少なく、ごちゃごちゃした我が家の近所に比べて格段に歩きやすくて楽しかった。

美術館もお昼どきというのもあって、すごく空いていてみやすい。
タグチ・アートコレクションに来ようと思ったのは、現代アートが好き、平塚市美術館に未だ行ったことがないというのも大きな理由だが、このコレクションは、ミスミグループ創業者の田口弘が蒐集したものだということ。
ミスミ本社の情シス部門にデータ入力の仕事に、私がまだ22歳ぐらいのことだったと思うが、派遣社員で行ったことがあった‥というのが大きな理由。

当時の東陽町の本社には、オフィスのあちこちに現代アートが飾られていて、当時は何のことやらさっぱりわからなかったが、私自身がコーチングのクライアントさんのお一人から現代アートの魅力について色々聞いているうちに、現代アートに興味を持つようになり、そのオフィスに飾られていたものの価値がおぼろげながらわかってきた。
その当時わかっていれば、もっとよく観ておいたのに‥と思わなくもない。
1ヶ月という短い仕事だったが、一緒にお仕事をした派遣の3人のメンバーはユニークな人ばかりだったし、社員の方も親切で楽しかった記憶が残っている。
当時まで言葉すら定着していなかった「カジュアルフライデー」を初めて見たのもこの職場だった。
色んな意味で進歩的な職場だったのだと思う。

今では、ブラインドタッチができてデータ入力の仕事で時給1700円ももらえる仕事もないのではないかと思う。
その前が営業アシスタントと秘書の仕事だったので、データ入力は周囲と協調することもないし、何より苦手な人の顔をと名前を一致させる必要もほとんどなくて、ラクで時給の高い仕事だったので、長期の派遣の合間によくやっていた。
一緒に働く派遣の人たちが一匹狼的な人が多いのも面白かった。

展覧会も非常に楽しかったが、その後図書コーナーでノンノンといろんな画集やら美術書を引っ張り出してあれこれ眺めたのが思いの外楽しかった。
とにかくこの手の本は大きくて高いので、自分で持つのは無理がある。
これからはこういうところで眺めて遊ぼう、美術館の図書コーナーは、図書館の美術書コーナーよりずっと充実している。
こうやってやりたい遊びがどんどん増えてくるのだよなぁ‥とちょっとため息。
時間と体力がほしいなぁ。

16時から、二人のお気に入りの亀戸の焼き鳥屋さんで焼酎を。
とにかくここの焼き鳥は、美味しい。そして安い。
予約を受け付けないので、17過ぎには地元の仕事帰りのお客さんでいっぱいのため、私達母娘は、16時のオープンとともに入ることにして、18時には引き上げることにしている。
こういう遊び方ができる友人というのは、スケジュールの関係でなかなかいないので、最近遊び相手はノンノンばかりになっている。

#平塚市美術館 #タグチコレクション #親娘で #現代アート

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2018年 4月月23日午後10時38分PDT

#岡村桂三郎 #平塚市美術館

Yoshiko Ohtakiさん(@ohyoshiko)がシェアした投稿 -

2018年 4月月24日午前3時39分PDT

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専業主婦になってくださいというリクエスト

4時に目を覚ますと朝からスッキリ。
そこから二度寝してしまって6時に目が覚めるとどうにも朝がシャンとしない。
寝すぎなんだと思う。

朝のお味噌汁用に鰹節を削る。
朝のお味噌汁はほぼ毎日なので、鰹節が減るスピードが思っていた以上に早い。
「ほんだし」のような化学調味料を使うのは、手間を省くだけではなくて、ダントツに安いのだな‥とよくわかる。
とはいえ、一度削りたての鰹節の味を知ってしまうと、あらかじめ削ってある鰹節や化学調味料には戻れない。

マンションの定期総会あることを頭から忘れてサボってしまった。
今年は役員の回ってくる年なので、必ず出てくださいと言われていたのに…。
終わる頃の時間になって思い出した。
うーん、スケジュール管理の方法を見直す必要があるかも。

オフィスの床を雑巾がけしながら、この週末はずいぶんと時間があって気持ちいいなぁ‥などと思っていたら、なんのことはない、単純に総会の予定を忘れていたとは…。

家事の中では、掃除は好きなほうだと思う。
ゆっくり作る時間があれば最近は料理も苦にならなくなってきた。

「なんで私、専業主婦になりたいと一度も思ったことがないんだろう?」という疑問がふと自分の中に生まれた。
多分、一番強いのは、私の周りに専業主婦がいなかったことだと思う。
母が働いていたのはもちろん、二人の祖母もそれぞれにお華の先生、染色の先生として教室をずいぶんな年齢まで開いていた。

最初の夫は、恐らく専業主婦の奥さんが希望だったと思うがあまりに給料が安くて無理だったろう(子どもを産んであっという間に離婚したので、その当時は一瞬専業主婦だったが‥)
 二番目の夫は共働き希望で家事も育児も私以上にやってくれた。
どちらにしても外で働かないという自分は想像できなかった。

でも、今ならどうだろう?
数年専業主婦をやって、社会に戻っても選ばなきゃ仕事はなんとかありそうな気がする。
若い頃はそんなこと全く思えなかった。
辞めたら二度と仕事につけないと思っていた。
多分、その当時思っていた「仕事」ってホワイトカラーのオフィスワークのイメージだったと思う。
最近はサービス業でも肉体労働でも、日々の仕事の中で何かしらの変化があれば、なんでも楽しめそうな気がする。
ま、そんな妄想しても専業主婦になってくださいという相手がいなければ、しょうもないんだけど。
 陽当りのいい場所でのんびり家事をしているとこういうのも悪くないな‥なんて思ったりするのだ。

久しぶりにコーチングのブロクをアップ。
「NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる」という本の感想。
1ヶ月に1回ぐらいしかアップできていないが、少なくとも2回はアップしたい。
今回の記事はなんだか後半がグタグダになってしまって、うーん、ちょっと言いたいことと違うような‥と逡巡したが、そんなこと言っているといつまで経ってもアップできないので、公開してしまった。

夜はもう生で食べられるのはそろそろ終わりかと思い、筍の土佐煮、それから水菜と海苔のサラダ、蕪のゆかり和え、本当はそれに豚キムチを作ろうと思っていたのだが、ビールとお野菜の惣菜でお腹いっぱいになってしまいそこで終了。

 今日は犬の月命日だった。

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身近な美

そうだ、休憩は、散歩に行くんだ。
ということを思い出して、仕事が一段落したので、ハーブティーを持参して近所の公園に散歩に出かけた。

犬が亡くなってからどうにも公園がつらくて、通り抜けることはあっても、わざわざ行って過ごすことはほとんどなくなり、この春は、桜の時期ですら犬を思い出さない15分程度の夜桜見物だけだった

晴れた午前中。
保育園のお散歩の子どもたちでいっぱいだ。
ツツジが咲き、毎年楽しみにしているアーチに絡まる黄色い小さい野ばらも満開になっている。
池のそばの少し隠れた石に腰をおろして、ハーブティーを飲みながらぼーっとする。

 「新緑」というのは、言葉の字面も響きも美しいが、その色も本当に美しい。
水面に映る緑を眺めていたら、すーっと2羽の鴨が通り、よくある光景のはずだが見惚れてしまった。 気持ちが穏やかなら、自分の周りには美しいものがたくさんあることを見つけられるのか。

山に出掛けたのは、年越しをした雲取山以来で、その後は花粉症もあって、インドアばかりだが、多分私はわざわざ遠くで自然を見なくても近くにあればそれはそれで充分なタイプなのだろう。
遠く普段とまったく違う景色を眺めるのも素晴らしいが、それが自宅の中や、いつもの公園や通りの景色の中にふと美しいな・・と思うものを見つけることだって同じぐらい素晴らしくて、グッとくる
そしてどちらかと言うと、私は身近な美のほうが好きなのだ。よくよく安上がりな人間だ‥と自分でも思う。
公園に出かけるという休憩は、頭の疲れが取れて気持ちがいい。

定期検診で病院へ。
混み合っていたので、待合で少し居眠りをして、目が覚めたらひどく気分が悪くなっていた。
先程まで何でもなかったのに?
休み休みお会計や薬の引取を済ませる。
まっすぐ帰りたかったが、大学に必要なものを買いに、御茶ノ水の檸檬に立ち寄る。
これまでもグリーティングカードなどの購入に何度か入ったことはあるが、この美的センスや芸術とまったく縁のない人生だった私がデザイン科の学生として入るなんて…とちょっと感動(笑)
まだ学生らしいこと何にもしていなけど、これから何度かこのお店に通ったりするかも?とか、何に使うのこれ?と今は思うようなものも、そのうち分かるようになったりしたら、嬉しいわ…などと、調子の悪い中でも脳天気なことを考える。

お店を出てから自宅までの間に、どんどん具合が悪くなって、帰ってすぐに横になる。
作ってもらった晩御飯をササッといただいて、また眠る。
なんで具合が悪くなったのか、さっぱり心当たりがないというのは嫌なものだな‥と思いながら。

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マネジメントになるための必須条件

昨日は、10時から顧問先の業務スタートで、夜は歓送迎会への参加もあったから、往復の通勤を入れて12時間を少し超えている時間を使った。
歓送迎会のスタートは6時半と早めで、お店のシステムで2時間制だったし、そう通勤に不便な場所でもないのに半日完全に仕事に取られるというのに愕然とした。

私にとってこういう日は滅多にないわけだが、普通に会社に勤めていたら、そもそも通勤時間を含めると10時間取られるという人は決して少なくないのではないかと思う。
それが5日間続き、さらに時折飲み会などもあったりすると、「仕事もプライベートも充実!」なんていうのは、私からすると相当丈夫でエネルギーがないと無理ではないかと思うのだ。

朝の瞑想中にふと、自分がイライラしたり、ピリピリしたりしていると周りの人も萎縮して辛くなると当たり前のことが思い浮かんだ。
私の周囲で常に一緒に仕事をしている人というのは現在いないけれど、周囲に人が多かったときももちろんあって、思い出すと反省すべき点がいくつも浮かんでくる。

顧問先で見ていると、どんなに仲の良い職場でもみんな上司の機嫌を伺っているのはオフィスの席にしばらくいるとよくわかる。
そう考えると人の上に立つ人というのは、人格者で自分の機嫌をきちんとコントロールできる人がなるべきなんだな。
マネジメントに昇格させる際に、実績だけでなくそういう点も考慮すべきな気もする。

会社員時代は、要領が悪い人やら仕事のできない人にイライラすることが多かった。
まぁ、自分が常に気が急いているからだ。
何度も同じような内容のメールを送ってくる人とか(一本にまとめて、一回だけ出してよ!)、営業に行くのにろくに資料を用意してこない人とか(しかも、資料がないとまったく喋れない)、会議の際に余計なことを喋って突っ込まれる人とか、山のようにイライラすることがあった。
今考えるとレベルの高い会社だったから、要領の悪い人がすごく目立ったのだと思う。
仕事のやり方がスマートな人が周りに多かった。

フリーランスになって、顧問として色んな会社と組織の中と外みたいな立場で関わるようになって、とにかく色んな人がいて、色々と見ているうちに性格的にとんでもなく意地悪とか高圧的とか、周りが困るぐらい不潔とか、周囲の人間をバカにすることで自分の地位が高くなると思っている人とか、うまくいかないことは何でも他人のせいして、美味しいところだけ自分の手柄にする人とか、色々な人と接するようになると、人間性がまともなら仕事のデキなんてどうでもいいかな…と思うようになってきた。

おかげで人の仕事ぶりを見てイライラさせられることがなくなった。
まぁ、これは自分が四半期単位で成果を厳しく求められる仕事ではなくなったというのも大きい。
不思議なものだが、ゴールがセットされて、バンっとピストルがなるとそのゴール自体正しいのか?ということを考えることもなく、とにかくゴールに向かって制限時間以内に到着することが、人生の何もかもに優先してしまうのだ。

 私のように条件反射でそうなってしまう人に、いくらワークライフバランスがとか、身体を大事にしないと‥という話をされても、頭では理解しても走ってしまうのだから、こういう人はそういう職場から物理的に離れるしかないのだと思う。

物理的に離れるというのは、とっても大きい。
そういうのを精神力でなんとか抑えようとすると、他の部分での精神力が足りなくなるので、人に不親切になる。
自制心は有限だそうだ。

イライラしている人にあったら、よくわからないが何か不幸な人だと思ってほぼ間違いない。
自分も経験しているので、イライラしているご本人に同情はできるが、近くにはいたくないので、距離をあける。
私がそうだったように、諭しても無駄だと思うから。

アドバイスは求められた時しかしない‥というのは、先日読んだ佐々木俊尚さんの本「広く弱くつながって生きる」で学んだ。このアドバイスは私にとって本当に貴重だった。

 

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休憩について

 先日の「休憩」がちゃんと取れていないなぁ…ということで、もうちょっと意識して休憩してみよう…と思ったが、よく考えてみると、ちゃんと休憩が取れるというのは、どういうことなんだろう…と思い始めた。
 ネットサーフィンが気分転換という意味で休憩になる人も恐らくいるだろうし、私のように気がつくと仕事に参考になる情報を探し出してしまっていて、どうにも休憩とは言えない…というような人もいるだろう。

 頭の中を考えがぐるぐると回るときは、マインドマップが一番だ。
 マインドマップを描き始めて気がついたが、私は色鉛筆がどうやら好きらしい。
絵を描くわけではないが、マインドマップの線や目印に色鉛筆を使っているとすごく楽しくなってきて、発想が広がってくる。

   描いてみてわかってきたのは、どうも私はある程度周囲が片付いていないと、心からリラックスができないということ、これは物理的に部屋が散らかっているのがイヤというのもあるし、仕事が溜まっていて何から手を付けていいのかわからないとか、終わりが見えないとかも入っている。仕事やタスクに関しでは、いわゆるOn Scheduleじゃないと気持ちが悪いのだ。

   でも?
家は散らかっていないし、仕事は自分で時間も量もコントロールできるので、体の調子を崩さないかぎり、焦ったり追い込まれてたりすることもないはず。
現に今の時点でそういう感じもしない。

   どうにも認めたくないのだが、自分で自分を追い込んでいるようだ。
自分を過大評価していると言ってもいいのかもしれない。
あれもできるはず、これもできるはず、そして1つ1つのことをもっと掘り下げられるはず…と自分でタスクを増やして、自分を追い込んでしまっているようだ。
完璧主義ともちょっと違うのだが、系統としては似ているだろう。
 過大評価も自分の能力自体を過大評価しているというよりも、時間をやりくりすればできるはずというオペレーションの改善の余地があるはず‥という方の思い込みというのが近いかもしれない。

 時間の使い方という部分に着目すると、大学がスタートするので、顧問先への訪問時間は来月から減らす形にした。
一方で、新規の話が多く自分自身その分野のアドバイスをするにあたって、調べておかないとならない部分は増えるので、全体として顧問の仕事の総量は恐らく減らないだろう。
それでも移動が減るというのは、体力を使わないという意味ではかなり大きい。

 社交活動は大幅に減らしているのでここは概ね順調。
コーチングは特に増やしも減らしもしていない。
そもそもコーチングについては、一定の品質を維持するには、そうたくさんクライアントを持つというのは私には無理なのだ。

 多分、一番のネックは大学にも仕事にも関係ない本を読みたいという欲求だろうと思う。
一冊読めば関連するもう一冊が読みたくなり、もうキリがないのだ。
一方で、大学関連で読みたい本も山ほど増えてきている。

 フォトリーディングは「読む」というのとは、やってみるとかなり違う。
内容全体に目を通した上で必要な情報を素早く深く読み取るというものなので、私にとっては「本を読む」というより、「必要情報を読み取る」と感じられ、本に浸りきる読書の喜びみたいなのは、全く感じられないし、もちろん文体を愉しむとか、著者のささやかなジョークを味わうなんていうのもすっ飛んでしまう。(そういう意味で、小説や文学をフォトリーディングで読むという人の気持は良く理解できない)

   「休憩」というテーマでマインドマップを描いたら、ここまで広がってきて、さて後はどうやって本を読みたいという部分を削るかなぁ‥という部分になり終了。

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toggleによるトラッキングと大学について

 試行錯誤しながらtoggle で自分の時間の使い方をトラックしている。
今まで睡眠時間はトラックしていなかったのだが、こちらも含めることにした。

 わかってきたのは、家事の時間が思っていた以上に多いということ。
よくネットなどにも取り上げられる「見えない家事」。掃除・洗濯・料理のようなはっきりした名前がつけられるものではない。
手続き関連、家計簿、備品や在庫のチェック、気がついた時の拭き掃除、毎日やるわけではないので、忘れてしまいがちな家事(例:フィルターの掃除、加湿器の掃除など、スケジューリングしないと忘れてしまう家事など)に結構時間を取られている。
「見えない」というが、実はなんだかんだ毎日あるのだ。
一つ一つは小さいがこうして時間を計測すると、決して小さくない。
子どもが学生や幼児の間は、書類書きなども多いので、この手のものはもっと多いだろう。

 それともう一つわかったのが、お茶を飲んだりする休憩の時間を取っているつもりだが、これがどうも仕事と並行して行っていることが多いことだ。
例えば、仕事関連のWebサイトを眺めながら、ビジネス系の雑誌を読みながらお茶を飲む‥みたいな、休憩なのか、仕事なのか微妙。
これはもうちょっと境界線をきっぱり分けたほうが良いだろう。
自分のオフィスで仕事をする際は、散歩に出てしまうのが良さそうな気がする。

  本日は、5時間以上の時間を使って、大学で何の科目を履修するかを計画し、それをカレンダーやらタスクリストやらに落とすという作業をした。
おかげでようやく全体像が見えてきた。

想定していた以上に長い時間を取られたのは、履修を検討する科目のシラバスに全て目を通したからだ。
中央大学の頃はシラバスのようなものはなかったので、この作業は全くなかった。
科目名も「刑事訴訟法」「知的財産法」などわかりやすいものだから、イメージはそれだけでわかった。
単位修得については、4通レポートを出して、小論文の試験を受け、合格したら単位がもらえる。
もしくはレポートの代わりにスクーリングに出席して試験を受ける、もしくはそれらを組み合わせて試験を受けるというシンプルな仕組みだった。

 一方、今回の京都造形芸術大学は、科目名が「デザイン1」とか、「デザイン演習2−1」とか、科目名だけ見るとまったくわからなないので、その時点でシラバスを確認をする必要がある。
また科目によって、課題制作するもの、レポート提出するもの、スクーリング参加しかないもの、Webで動画視聴するもの、とざっと4種類ぐらい形式がある。
さらに、中大の頃はレポート提出はいつでもOKだったのが、レポート提出は決められた期間以外には出せなかったり、動画視聴やWeb上試験も同じように期間が定められている。
そのうえ提出したレポートや課題が合格しても、年度中に試験まで通らないと、来年度またレポートや課題からやり直しということで、とにかくスケジューリングを新調にやらないとかなりマズイ。
それぞれの単位修得方法、勉強方法、それから前提条件や読むべき参考文献などが全てまとめられているのがシラバスでこれが冊子になっているとずいぶんとラクなのだが、残念ながら全てWeb上にある。(PDFへの出力は可なのがありがたかった)

 もうなんだか大学卒業プロジェクトみたいな感じである。

しかも各フェーズ(科目)の自分にとっての難易度がさっぱり見えない。
またジャンルがこれまで私が生きてきたところから、かけ離れているので、まぁ外資系企業に初めて転職したときのような感じで自分に何が求められていて、どうふるまうべきか、というのが皆目検討がつかない‥という心細さがある。
そう考えてみると、フリーランスの今の仕事は、仕事の依頼自体に当たり前だがどこか自分の得意分野が入っているから、そこを足ががりに色々とあたりをつけて動かせているのだな‥というのがよくわかる。
 こういう足がかりとなるものが全くないことをするのは、ずいぶんと久しぶりで怖くもあるが、そういうのにちょっとワクワクする。
もう仕事では恐らくそういうことは回ってこないだろうから。

 時間があったので、寝しなに「芸術史」の課題図書を読みはじめた。
 絵画も時代によって流行り廃りがあって、その流行り廃りは当時の政治や経済情勢や、一見離れていそうな文学や思想の流れから影響を受けていること、前時代の絵画のあり方を打破しようとする流れ、よく考えてみると当たり前なのだが、そういうバックグラウンドの知識をもって絵を眺めると全然見え方が違ってきてものすごく面白いということがよくわかった。

 体系だって学ぶというのは、自分の日々のやり方や過ごし方だけでは入ってこない情報や知識が入ってくる。これがとても面白い。
ああ、みんな繋がっているんだなと思うとモノの見方がガラリと変わる。
ああ、そうか私はそういうのを久しぶりにたっぷり味わいたかったんだなぁ…と嬉しい気持ちで眠ることができた。


大学生活については、別のブログに記録しています。ご興味ある方は、以下のサイトへどうぞ。

「京都造形芸術大学通信教育日記」

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リーダーとストーリー

   先日登壇したセミナーで、新規ビジネスやスタートアップでどのようなサービスや製品を作るかは、いかにユーザーが解決したいと思う本当の課題を見つけるかが大切である。
そしてその課題は自分ごとであることが最もお薦めである‥なぜなのか?というと、自分ごとであればあるほど、なぜそれを自分がやるべきなのか?というストーリー性が強くなるからだという話をした。

 強いストーリーは、困難の多い新規ビジネスで欠かせないチームをまとめる力や、困難を打破するエネルギーをもたらすから。

 今日、顧問先でいくつかの1on1ミーティングを通じて感じたのは、強いストーリーは、新しいビジネスに駆らず、リーダー自身のために必要なんだな‥と思った。
     既存部門であれ、困難はたくさんある。リーダーというのはやっぱり一番きつい立場であるからこそ、支えとなるストーリーが必要だ。
  机上の空論や顧客にヒアリングをしないで作られたでっちあげの課題をベースにして行なうビジネスは、周囲の反対や結果が出難い場面でグラグラしてしまうだろう。
 この春からの新しいリーダーたちが、自分がどうしえこれをやるべきなのかという、自分たち自身のストーリーがきちんと持てるずいぶん違ってくるだろうな‥と思う。
 
     営業同行でお会いしたお客様が、同じような時期にIT業界を転々とされていた方だったため、お話が盛り上がった。
 この業界でよくあることだが、共通の知人もいることがわかった。
 まだ私が20代のときに知り合ったセキュリティ関係のエンジニアの方で、当時誘われた技術勉強会で知り合った方だ。
 同じ勉強会に当時はまだ彼女だった奥様も来られていて、仲良しカップルをみんなが微笑ましく見守っていた。
 私も彼女も勉強会の中で、年齢も近く女性も私達しかおらず、IT業界ではあるが、エンジニアではないという共通の立場だったので、詳細は思い出せないが会話は多かったと思う。
 その後彼女の行った外資系企業に私のベンチャー時代の方が転職していたこともあり、その企業に転職を誘われたこともあった(場所が都内でなかったため、残念ながらお断りせざるえなかった記憶がある)

     その後、仕事の忙しさもあり、勉強会からは離れ、勉強会そのものもなくなってしまったようだが、お二人が結婚されたというのは風の便りで聞いていた。
 本当にお似合いのカップルだったから、まぁそうだろうな‥と思ったことを思い出した。

   今日お会いしたお客様から、その後奥様は6年ほど前に癌で38歳の若さでお亡くなりになりなったということを聞いて、驚いた。
   男性でも女性でもそうだが、いつまで経っても何歳になっても清潔感があって、少年や少女のような雰囲気を持つ人がいるが、彼女と彼は私の中でまさにそういうイメージだったので、「死」や「癌」といった言葉とまったく結びつかない。
   おかしな話だけれど、10年以上会っていないし、思い出すこともほとんどなかったお二人のことがお客様からお話を伺って急にリアルにすごく近いところで思い出されてきて、戸惑っている。

 
       

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入学ガイダンス

ひどい二日酔い。
昨晩はピッチが早かったから。

 プライベートでも、社交活動の飲み会でも2次会まで参加するとどうも後悔することが多い。ここ2年ぐらい。
呑み過ぎてしまって‥ということではなくて、単純に一次会に比較して愉しさが薄れるのだ。
もう二次会参加は止めよう。

   大学の新入生ガイダンスに参加。
詳細は、京都造形芸術大学日記 に記載。

 私の所属する情報デザイン学科の理念は以下の通り、

▼大量の情報が蓄積され、浮遊したまま
▼適切な時に適切な人に効率的に
▼情報を整理し、表現することが重要
▼情報デザイン

 この理念の話を聞いて、ああ、自分のやりたいことは確かにこれだな‥と妙に納得。

   通信制大学も2回目なので、ある程度仕組みは理解しているが、以前の中央大学とはずいぶんと異なる点も多くて、参加して本当によかった。
多分、自分でガイドブックを通じて理解しようと思ったら、3倍以上の時間がかかるだろう。
3年次編入というのは、かなりスケジュールが忙しいというのも理解。
最短の2年で卒業しようと思ったら、来年の春にはもう卒業制作に取り掛かるぐらいでないとアウトだ。

   入学試験もなくて入りやすい通信制大学は、セルフコントロールがかなり効く人ではないと、卒業は難しいから、卒業率はどこの大学もものすごく低い。
入試に耐えられなかったという理由の人が入ってくるのは結構大変だと個人的には思う。
ここで挫折すると自己肯定感も下がるだろうし‥・。

 帰り道はすっかり晴れていて、美しい。
信濃町のキャンパスは周辺に緑が多くて、都心部だけど人が少なくてお気に入り。
黄緑の葉に、藤の花の薄紫の取り合わせは、亡くなった鎌倉の祖母を思い出させた。

 図書館で借りてきた垣谷美雨さんの2冊の小説をあっという間に読了。
どちらもテンポがあって、読みやすい。
先日、寝込んでいたときに知ったこの作家さんの小説にちょっとハマっている。
おかげで今月の電子書籍代は結構な額だ。

 移動中に「生活の発見 場所と時代をめぐる驚くべき歴史の旅」を読み始める。
2月の末に東京堂書店で購入して積ん読になっていた本。
確かに書物を通じて「旅」しているような感覚におちいる本のようだ。


 





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日記といふもの

日記というのは、やはり毎日時間を決めて書くものなんだなぁと思う。

 少し時間が経つと、
朝から筍ご飯を炊いて、ウキウキしたこと、
いつもは手が回らなくてきれいにできていなかった場所を時間をかけてきれいにしたスッキリした空気や達成感。
プールでどんなことを考えたか。
美味しかった発酵料理と日本酒の話
やっぱりいつものバーが居心地がいいと感じたことなどが、もうベールを被ったように少し遠くに感じられて、リアルに思い出せない。

花粉が少しずつおさまってきたのが感じられ、ようやく春が楽しめるようになったと思ったら、新緑が色鮮やかだ。
今年の春は季節の進み方がすごく早く感じるのは、例年より桜が一週間早く咲いたからだけではないのだろう。

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雑多なこと

晴天。

朝食はバゲットにクリームチーズをたっぷりと。パンを食べるのはずいぶんと久しぶり。
近所に浅野屋ができて、本来ご飯党の私もまぁパンでもたまにはいいか‥と思うようになった。
ここの4枚切りの食パンとバゲットはおいしいと思う 。

 クリームチーズそれほど好きではないのだけれど、先日、近所の佐野味噌さんに行ったら、すごくシンプルな容器でほとんど添加物の入っていない町村農場というところのクリームチーズを瓶詰めを発見。
手に取ったら、店員さんに「それ、入ったばかりなんですけど、すごく美味しいのでお薦めです」と言われて、お買上げ。
食べてみると、ああ、今まで食べたクリームチーズってかなり人工的な味付けだったんだなぁと感じた。
素朴な味というのともまたちがうのだけれど、おいしい牛乳が主体であまりいろんなものを入れずに作ってあるんだろうな‥という味がする。

ここ数ヶ月緑内障の疑いがあるということで、眼科で検査を受けていたが、今日から目薬を開始することになった。
先生から、「昔だったらこの程度の視野の欠けの場合、点眼しなかったのですが、最近学会の方針が変わってなるべく早くから始めたほうがいいということになりましたが、どうされますか?」ということで、心配するほうが面倒なので、点眼を始めることにした。
 なんでもこの目薬、副作用でまつげがフサフサにになる人がいるらしく、治療目的ではなくて病院でもらっている人もいるのだとか、それから人によっては目の下のクマがデキやすくなる人もいるらしい。
まぁ、どっちもあまり気になる副作用ではないから、いいかな‥とは思う。

   検査と薬代を合わせて、4000円以上の出費となり、買い物の現金が足りるかしら?と一瞬不安になる。
年齢を重ねると医療費がかかるという話をよく聞くが、この春は花粉症の薬やらスプレーやら目薬やらに相当お金を使ったので、我が家も医療費が通常の3倍ぐらい掛かっている。これは年齢に関係ないような気もするけどね‥。
あ、マスク代もあったか‥。

 冷蔵庫が空っぽなので食材の買い出しをして帰宅。
筍があったので、購入。
自分でアク抜きしてもいいのだが、こちらの八百屋さんでは、アク抜きしたてのものを売っていて、便利なのでそちらを。

 自宅で仕事を3時間ほどして、大学のスクーリングの申し込みや週次レビューなど、雑多なタスクを片付ける。
そういえば、学生だからAmazonの学生向けプログラムあったな‥と思い出し、Amazon Prime Student を申し込む。
AdobeのCreative Cloudの学生価格がセットされてるのもついでに確認。

 晩御飯は、赤ワインを飲む予定だったので、鶏もも肉のトマト煮込み、からし菜のサラダ、これにキャベツとアンチョビのペンネを作る予定だったが、先に明日の朝食用に作った若竹煮があまりに美味しそうだったので、コロナビールを飲みながら食べてしまい、ペンネまで到達せず終了。

図書館に「子どもたちの階級闘争」を返すにあたって、印象に残ったところを引用登録  していて、日本にも確実に同じことが起こるだろうという前兆があちこちで見られているな‥という気がしてきた。
例えば、保育園に子どもを預けにくい問題1つとっても、近隣のアジア諸国から日本に移り住んできた人たちで保育園がいっぱいになれば、同じように排斥運動の流れは高まるだろう。
自分たちが受けられるはずの権利を他国人に阻害されていると感じるだろう。
英国が特殊なわけではないだろう、階級が固定化してしまったり、自身の安全や快適な生活が脅かされたときに、人は多分同じような行動を取るのだと思う。自分も含めて意識することなく…。







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花水木

犬の49日が終わった。

 どこかで読んだが、死ぬと同時に、何かの生き物に転生するというのが本来の仏教だそうだ。(悟りを開けば確か、生まれ変わらずに済むんだったような…)
 49日というのは、あくまで葬式仏教で、坊主が儲かるための仕組みだという話だった気がする。

 とはいえ、なるほど49日という期間は、気持ちが一段落するという意味では、ちょうどいい長さのような期間だなと実感した。
少しずつではあるが、犬と通った公園も通ることができるようになり、よその犬が嬉しそうに散歩するのを穏やかに眺めることができるようになった。
 娘が整えた祭壇?(26年前から我が家に残る唯一の家具、今は住宅展示場となってしまった亀戸の天神家具で買った卵型の小さなちゃぶ台に、犬の写真やらリードやら、お散歩のときにきていた服などがのせられたもの)も片付けられ、遺品は木の箱に全て収められた。

 昨年からお引き受けしていたセミナー登壇の仕事も本日の登壇で終了。
この一連のセミナーは自分が普段顧問先でしているアドバイザリー業務が言語化できる機会となり、自分自身の仕事の見え方が変わってきた。
いい経験だった。

 一番時間を割いていた顧問先の仕事内容も変わり、来月からは、拘束時間としては半分にしてもらうことにした。
それと入れ替わるように大学の通信教育がスタートする。

  しばらく文章を書く気になれず、すっかりこの「ささやかなこと」もお休みしてしまった。
ネット上で植草一子さんのインタビューを読み、その中にECDさん(植草一子さんの旦那さん、癌で昨年お亡くなりになった)が家族との日々を日記に書くのは、忘れたくないからだというような内容があり、私が日記を記すのも同じだな…と感じて、また書いてみようかと思うようになった。

    犬が亡くなってからの変わったことの一つに人付き合いが極端に減ったというのがある。
交際費が元々使っていた金額の3分の1以下になっている。
社交活動は元来苦手だと思っているので、人数が4名以上となるような飲み会はもともと義理がない限り参加しないのだが、個別に友人や仕事の関係者と食事に行くのはそれなりに多かったということだろう。

 これだけ社交が減った理由は、静かに暮らしたいと言いつつ、自分からお誘いすることが多かったということがわかった。
世の中には魅力的な人が老若男女問わず、たくさんいらんして、ついついもっとその人の話を聞きたくなる→お誘いとなっていたのだ。
自分から誘わなければ、これだけ減るんだな…というのは、全く気づいていなかった。
Facebookにあまり顔を出さなくなったのも、誘うきっかけが双方で減った理由の1つのような気がする。

 犬の死とともに、自分にとって本当に大事なものはとっても少ないんだなぁということを改めて実感した。

 桜の季節が終わって、気がついたら花水木が色づいていた。
今年は本当にひどかった花粉も少しラクになってきた気がする。
ぼちぼちわたしも動き出そう。

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