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2018年5月

ビジネスとアカデミック

昼寝から目覚めてぼーっとしている。
ちょっと想定より長く眠ってしまったみたい。
つまらない講演会のような場所で、椅子に座りながら眠くなってしまい、ガクッとなるようなことがあるけれど、一回ガクッとなった時点で起きるのが一番短時間でスッキリ目が覚める。
そこで昼寝をやめるのがベスト。
(講演会とかは、そのままつまらない講演を聞いていないといないのが辛い。
そういえば、最近座ってつまらない話を聞いていないとならない我慢大会みたいな機会ってないなぁ・・)

だんだん蒸しっとする日が増えてきた。
気温が高くなってくると晴れていなくても、気分が沈み込むことは多くない。
自分は「お日さま教?」の信者で、太陽が見えないと調子がどうも悪いと思っていたが、調子が悪いくなるときは、どうやら「寒い」というのがセットらしい。

週末は通信制で学んでいる京都造形芸術大学で初めてのスクーリングだった。
ベンチャーと外資系での仕事が長かった私に染み付いている習慣があることに気づいた。
どちらもとにかく山程仕事がある。
ベンチャーなら、普通の会社にはすでに決まっているオペレーションルールやテンプレートのようなものがほどんとない。
全部イチから自分で作る感じ。
それを作るようにという指示すらこないので、毎日のように「あ、あれも作らなくちゃ」というのがある。
気がついたら、どんどん手を動かして作る。
相談できる相手、教えてくれる相手というのも基本的にいないことが多い。

外資系は、本国での企業規模が大きいから日本に進出してきていることがほとんどだ。
そのためフォーマットやルールはある程度あるが、日本市場に適した対応をどうするかというのは、基本作らなくてはならないし、大きい会社特有の理不尽とも思えるルールがあるから、それはそれで厄介だ。
そして、大体の場合には日本法人でそれを全部やるには全然人が足りない・・ということで、優先順位をすばやくつけて、取捨選択をしなくてはならない。

ベンチャーや外資系は、業績が悪ければ倒産もしくは日本からの撤退が常に身近に待っているので、職場は緊張感が高くスピードが早い。
こういったスピード感のある職場では、上司が求めるのは考え抜いた120点ではなく、平均点もしくはそれよりちょっと上で如何に早くアウトプットを出して、次の仕事に取り掛かるか…ということがほとんど。

大学で求められているのは、それと真逆、いかに考え抜くかが自分を成長させ、学びとなる。
一緒に学んでいる社会人学生を見ると、やはり考え抜くことが好きな人が多いし、作品も非常に凝っているようだ。
そんな中で、私はここでもビジネスモードがぬけず、時間内にどうやって終わらせるかが第一となり、どの程度のレベルならパスできるかを見回してしまう。
そうして、先生からそれとまったく逆の態度で学ぶように指導されて、そうだった、ここはビジネスの現場ではないのだ・・と慌てて思い出す・・・という繰り返しの2日間だった。

まずは素材をじっくり「観察」する。
素材と向き合う。
それが終わってから「分析」に入るというのが学舎では重要なのだが、私はいきなり「分析」してしまう。
顧問の仕事の始まりもいつもそんな感じだ。
ご相談したいことがあると言われれば、すごい勢いでその会社をネット調べ、その会社を知っている知人や友人がいれば即会いに行き、業界を調べ・・と、「ご相談」前に相当いろんなものを頭に詰め込んで、想定「課題」を作る。
これはこれで仕事の上ではそれなりに機能しているのだが、学舎ではこれはだめ。
頭に詰め込んであるものを取っ払って、ゼロから吸収しないとならないのだ。
これがなかなかうまくできない。

それでもあまり落ち込まないのは、コーチングで似たようなことをしているからだと思う。
当初はコーチングも同じように事前予習をすごくしていた。
だから、お試しのコーチングでも事前にシートを渡して書き込んでもらってから、コーチングをしていた時期もある。
そういう時期のコーチングは左脳よりの起承転結のあるきれいなコーチングだったと思う。

今はそういうことはしない、
単純に目の前の人の話を聴く。
頭を使わず、五感を使う。
何度もこの単語が出てくるな・・とか、この部分はしゃべるスピードが早いな・・とか、そういうことを言語化してではなく、色みたいな感じで見ている気がする。
明るいトーンで話しているとか、暗い感じの色だなとか、でも、どこかに光があるみたいだな・・とか。
こういうセッションは着地点が思わぬ場所に辿り着くことがある。
お互いにびっくりすることも多い。

セッション内で着地しないこともある。
その場で着地しないが、数日して自分の中に、なにかが見えてそれをクライアントさんにメールすることもある。
例えば写真や読んでいる本の一つの文章がその人の言っていることのイメージとピタリとくるものだったりする。
そういうときはあとからそういった内容をメールで送ったりもする。
よくわからないけれど、今大学で学んでいることは、そういうこともっと増やすようなことをしているのだと思う。

ここまで書いて思い出した。
今までの私のやり方や生き方だと、今までと同じ課題を同じ方法でしか解決できないな・・と思って、全然違うことをやってみようと思ったのも今の大学で学びはじめた動機の一つだった。
そう思うと、混乱しているというのが多分、正しいのだ。
すんなりそのやり方に落ち着かず、もがいたり、別の面から見たりする、そういうことであっているんだな・と思う。

単にあまりのできなさに自分で自分を慰めているような気もするが…。

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照明を落とす

ブログの感じが変わりましたね、と言われることが増えた。
恐らく、ノンストップライティングの癖がついて、書きたいことを書きたいリズムで書くようになったからだだろう。

備忘録としてのブログはやめた。
そもそも、以前も途中で止めようと思っていたのだが、なんとなくそのリズムとパターンがしみついてしまって、止められなくなっていたのだ。

テキストエディタを替えたのも理由のひとつかも。今は、「stone」というアプリを使っている(恐らくMac専用)。
これの縦書き表示が美しくて気に入っている。
書いていて(打っていて?)楽しいのだ。
有料アプリだけれど、その金額の価値は十分あった。

オフィスで休憩するときに、照明を落として、ベランダから差し込む陽射しだけで、お茶をゆっくり飲んだら、とっても気持ちがよかった。
人工的な明るさって、場合によってはないほうがリラックスるするのかも。

toggleのタイムトラッキングで、どうやら睡眠時間は6時間ちょっとが平均だということがわかった。
でも、それが続くと足りないようで、お昼寝が時々入る。
お昼寝は私の場合、15分から20分が良い様子。45分過ぎるとその後かえって眠くなる。

起きている時間のうち、家事・大学・仕事を同じぐらいに使いたいので、toggleで調整しながら過ごしているが、なかなかうまくいかない。結構仕事を減らしたつもりだけれど、使う時間としてはそう減っていないようだ。

タイムトラッキングでわかったことは、思っていた以上に本を読んでいたことだ。お風呂でKindle読んだり、移動時に本を読んだり、寝る前に読んだり、暇があれば読んだりとなんだかんだ少なくとも2時間は読んでいる。
実感としての読書時間は45分ぐらいだったんだけどなぁ。

MediaMarkerの読了冊数で見ると、読んでいる時間ほど、読了した本が多くないのは、同じ本を読み返していることが多いからのようだ。
何度も繰り返し読みたい本を常に探しているのだから、これはこれで正しいということかもしれない。

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だらだらと傘のはなし

PCの右上の時計は23:59と表示している。
久しぶりに眠りそこねて、こんな時間に文章を打っている。

徐々に蒸し暑さが出てきて、ほんの少しベランダの戸を開けて、網戸をあけておく。
夜の音がする。

キッチンには、築地で箱で購入した実山椒。
三人で4時間近くかけて、軸から外し茹でたものが、水を張ったボールの中に。
明日は、醤油漬け、塩漬け、オイル漬け、ちりめん山椒を作り、残りは冷凍にして調理用になる予定。
その隣には、ひよこ豆が同じくボールの中に水を張って放り込んである。
これは明日茹でるもの。

毎日のご飯の中で一番好きなのは、間違いなく朝ごはんだな‥と明日の朝ごはんを思い浮かべながらキーボードを叩く。
小さいトラックが通り過ぎる音がする。

先日、傘をなくさなくなったという話を書いたばかりだが、ふと玄関を見ると、今年買った傘ばかりだ。

長いこと使っていた折りたたみ傘の傘カバーをなくした。
渋谷の駅で、たまたま雨に降られたときに買ったもので、2000円ぐらいの傘だったと思うが、多分8年ぐらい使っていて、そろそろあちこちにガタがきたので、処分した。

その後、ネットで良さそうな折りたたみ傘を買ったら、びっくりするぐらい大きくて、重かった。
デザインはいいのだが、これでは持ち歩けない。
評価が高かったのは、デザイン性とその頑丈さだったようだ。
その割にはお値段も安かった。
確かにそこはいいのだが、その分重たい。
ただでさえ、仕事のカバンの中は、システム手帳とPCで重たくなっているところにこれはキツイ。
仕方なく、こちらは荷物が軽い時の強雨のときようにした。

重さにこりて、たまたま見かけたすごく小さくて軽い傘を買った。
これが軽すぎて、少し風が吹くと、ひっくり返ってすぐお猪口にになってしまう。
これは2000円ぐらいだった。
小さすぎて、付属の傘カバーに入れるのもすごく面倒で、こちらは仕方なく山用にすることにした。
(山用にはわりと便利だ)

近所の駅のショップで、この2つの傘の中間になるような折りたたみ傘を買った(これで3つ目)。
現在、折りたたみ傘はこれを使っている。2000円台だったと思う。
可もなく不可もなし。
一番活躍している傘だ。

本来は、折りたたまないタイプの普通の傘が好き。
使わなくなったのは、以前勤めていた会社で、何人かの男性陣と顧客を訪ねたときに、全員が折りたたみ傘で、私だけが普通の傘だったことがあった。
その際に、私だけビルによくある鍵付きの傘立てに入れなくてはならず、行きも帰りもイライラされたので、それ以来仕事のときは、折りたたみ傘を使うようになった。
今はそんなに小さなことでイライラする人たちと仕事をすることもなくなったし、そもそも一緒に出かけるというのもほとんどないので、普通の傘のほうがやっぱりさしやすい。
ところが、私が長いこと使っていた細くて軽くて安いと三拍子そろった傘は、娘に取られてしまった。
渡さないとまたしょっちゅうビニール傘を買ってきそうで恐ろしいので、渋々譲った。

その後、私がビニール傘を使っていたのだが、先日ネットで見つけた傘が面白そうだったので、買ってみた。
KAZbrellaというイギリスの傘らしく、発色がきれいなのと、逆開きの傘で水滴がつかず、風に強いというのがいいなと思ってポチッとした。

8000円近い傘というのは、最近の私の傘の中では、ダントツに高い。
届いてみたら、こりゃ、丈夫だわ‥と思うものの、大きくて重たい。
やや不安に思うが、まぁ、しばらく付き合ってみるかな‥と思っている。
ということで、4本目の傘がやってきた。

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仕事のための勉強とそのコツ

久しぶりの青空。

仕事の打ち合わせ。
長年いろんな場面で仕事で会うことがある男性と7年ぶりに会う。
「相変わらずおきれいですね」という彼の定番の冗談(挨拶)に、いつもなら「ありがとうございます」とニッコリするのだが、今日に限ってそうできないのは、腰が痛くてついに今朝から腰痛ベルトのお世話になる羽目になったせいだろう‥と思う。
自分は若さへのこだわりやら執着やらがそれほど強くないタイプだと信じてきたが、腰痛ベルトとには何やらショック。

おしゃれとか化粧とか装うことの全部が無駄な気がしてきた。

大学の勉強が楽しい。
朝からひたすら課題に取り組んでいるが、取り組んでる本を読んだり、ネットやらで調べ物をする度に、すごく近くにありながら全く気づいていなかった世界や仕組みを知ることで、そこから知りたいことが山ほど出てくる。
仕事にもそういう側面があるのだが、もうちょっとだけ悲壮感があって、「知りたいこと」というよりも、「知っておくべきこと」という感じになる。
元気なときは、仕事の勉強がすることが多いことは楽しいのだが、エネルギーのないときは、自分の無知さにうんざりして、こんなのが一生続くのか‥と、うんざりした気分になる。

中央大学で勉強していたときに、多摩の本校舎で、親友とも言える男友達と、「30代はうんと勉強して40代以降はその勉強の資産とそれまでの経験で食べていけるようになるのが理想」等と話した記憶があるけれど、40代後半になっても勉強の資産で食えるようになどまったくならないし、勉強し続けなければあっという間に終わりだ‥という危機感が強くなるばかりだ。

若い頃に比べて、ビジネスのための勉強の要領がよくなったとは思う。
その分野のスペシャリストになるのでなければ、ビジネスのための勉強というのは、「やり過ぎない」というのがコツだ。
自分に求められる範囲を見誤ると本来の仕事ができなくなる。

私の場合だと、自分の関わる業界や分野の最新の流れや用語を常に知っておき、それを一般の人にわかり易く説明することまでができればいい。
それ以上のことは必要に応じて調べればいい。若いうちはついつい自分の手で技術なども検証してしまっていたが、実際に手を動かす人になるならともかく、マーケティング・営業・企画系の仕事では、それはやり過ぎだ。
年齢や経験を重ねるにつれて、ここまで押さえておけば、OK…というラインが素早くみえるようになった。
さらには、それなりに知り合いも増えてくるので、これこれに関しては、この人からヒントをもらってみよう‥ということもできるようになる。
長い知り合いだから、私の頭があまり良くないというのもよく知っていて、このあたりを押さえておけば充分‥という私向けのアドバイスがもらえるのが有り難い。

一方で体力もエネルギーも年齢とともに落ちてくるから、こういった要領の良さみたいなものをつちかってこないと、やっていけなくなるんだな‥というのもよくわかってきた。
あの時の体力・気力でこの要領の良さがあれば‥と思わなくもないが、それじゃぁ年寄りには酷過ぎる、出番がなくなってしまうではないか…

ひょっとして、神様はやさしいのかもれしないな…とふと思う。
世の中というのはわりとよくできているのだ。多分。  

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哲学とデザイン

大学で芸術史の勉強をしているうちに、ふと気がついた。

芸術家が自分の作品と向き合うことは、「哲学」しているというのと一緒だ。
自分というのはどういう存在か?
自分は何をどうやって訴えたいのか?
新しい表現とは何か?
そもそも自分にとって、人類にとって芸術とは何か?

というような思索に耽って、そこからその時点での1つの回答としての作品を創っていく。

不思議だ‥と思ったのは、私は再度大学で学ぶなら、哲学を勉強しようとずっと思っていた。
今年度たまたま京都造形芸術大学で情報デザインを学ぶことを選んだのは、今回哲学を選ばなくても、私はなんだか哲学とは縁がありそうだから、またどこかで大学に行くことを考えるだろうと思ったからだ。

デザインはふとなんとなく浮かんだだけで、単純に言うと、デザインを使えば、ビジネスの上でロジックを使って論破とかしないでもなんとか、自分が信じる方向に人を動かせるんじゃないか?と思ったのだ。
論破してもろくなことはない。その後スムーズに仕事に協力してくれることなどない。
論破された側は敗北感を引きずるし、自尊心は低下するのだから、渋々協力してくれるならまだいいほうで、足を引っ張るチャンスを狙っているケースのほうが多くなる。
そういうのを避けるのにデザインとかビジュアルとか使えないかなぁ‥とふと思い、そこに通いやすそうな大学があらわれた。

これも「縁」だと思ったのと、芸大というのは、多分わたしの中で、私らしくない選択だと思ったので選んだ。
人生の後半戦は、選択に悩んだら今までの私なら選ばない私らしくないほうを選ぼうと思っている。

私は美術の授業などはとても嫌いで、自分の手から作品を生み出すことに全く興味などなかった。
今でもそのことに興味があるか?と聞かれれば、大いに疑問だ。
学生時代の美術の授業は、やっつけ感100%の提出物を出し、ヒドいときには提出すらしないので、5段階で2ぐらいだったと思う。(1にならないのは、授業出ているからだ)
大学ではレポート科目はそこそこ進みが早いが、実技科目はとことん苦手で自分の中に表現したいものというのがないので、自由課題のようなものほどさっぱりできない。

一方で、まったくもって苦手なものというのは、少しでもできるようになると猛烈に嬉しいというのが、ここ数年わかってきた。
トレッキングしかり、料理しかり。
TOEICなどを例に例えるとわかりやすいが、さっぱりできない人を450点のスコアに上げるのはそう難しくない。
難しいのは750点を800点に上げることだったりする。
たかが50点という単純な計算にはならない。
進歩がわかるまでの踊り場が長いので、モチベーションを保つのが難しいのだ。

これまでずっと鑑賞者として美術館に足を運ぶことがあっても、一番好きなのは、美術館の建物で、飾られている絵画や作品そのものではないことが多かった。
春から大学で芸術史の勉強やデザインとは何か?というものを学ぶことによってモノの見え方がずいぶんと変わってきたのがとても楽しい。

作品そのものを理解することよりも、コーチングと同じでこの人はどういう人生形成があって、こういう道を選んできてここにいるのか?
ここからどこに行こうと思っているのか?という話を聞くのが好きだ。そこにはたくさんんのストーリーがある。
そこから作品を見てみることで、ずいぶんと見え方が変わってくる。
同時代に生きた人がどんな作品を作っているかを合わせて観ることも楽しくなってきた。
それまで縦の系譜は考えてみても、時代という横のカットでモノを観ることは全く思いつかなかった。
そしてそこからどういう時代だったのか?とか、その国の歴史や文化に興味が広がり、ああ、みんな繋がっているんだな‥と実感する。

そうして、なんでもつながっているというのは、私にとってはそれは哲学を思い起こさせるのだ。
すべての学問は哲学から始まった。そうだよなぁ‥と思うのだ。
結局、色々とちがうことを選択したつもりがまた、元の場所にいる。
それは、少し残念なようにも思うが、いろんなことに流されたり、影響されたりしているようで、あんまり人の本質みたいなものって変わらないんだなぁ‥と安心させてくれるものでもある。

 

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勇敢

肌寒いお天気。 静かに降る雨。
こういう日はどうにも気分が上がらない。
いや、こういう日だってその静けさを喜べる日もあるから、今日がたまたまそうなのだろう‥

鰹節をけずって大根を切って、お味噌汁をつくる。
オクラが残っていたので、納豆と混ぜて食べることにする。
セロリの葉っぱとジャコのふりかけが半端に残っているので、これも食べてしまおう。
この時期にだけ出回る瓜。
一番好きな食べ方はぬか漬け。
ぬかに漬けてみたら、微妙に水分が多いので、ぬかを少し追加。
今、使っているぬかは塩分が強くて味の調整が微妙に難しい。
大根とニンジンのきんぴら、スナップエンドウとゆで卵のサラダがそれぞれ少しずつ残っている。
うーん、今朝の朝食は焼き魚まではいらなそうだ。

一段落したので、ホットミルクをのむ。
いただいた手作りのマーマレードのジャムを入れる。
う まく溶けなくて、最後に残ってしまったジャムをスプーンですくって食べる。
ちょうどいい苦さがあっておいしい。
マーマレードのジャムは、苦さの調整がむずかしい。
全く苦くないのは物足りないし、苦味が強いのはいただけない。
ずいぶんと長いこと果物を使ったジャムを作っていない気がする。
スーパーで安い果物があったら、やってみようかな‥とちらり…と考えるが、それ以外に使いみちのないグラニュー糖を買うのに抵抗がある。

昨日から雨が降っているので、玄関には赤いHUNTERの長靴が出ている。
この長靴を見ると妙に外に出たくなる。
特に公園を散歩するのが楽しい。
湿った土や芝生の上を大股でどんどん歩くと、長靴下のピッピのような勇敢な気分になってくる。
「勇敢」なんて言葉は、日常の中でなかなか意識することがない言葉だ。

新しいビジネスを考えるディスカッション。
本日は第一回。
始めるにあたって、やらなきゃいけないことをどんどん書き出すというのに付き合う。
結構なアクションアイテムが出てきたし、まずはこれをやらなきゃというのも見えてきたので、とりあえず1週間後までにやりおえるべき宿題を決めて本日は終了。
初回としてはいいスタートだと思う。
何より、一人でやっていたときだと、本当にこんなことできるの?と思っていたようだが、一緒にやってるとどんどん具体的になってきてやり方が見えてきた‥とのこと。

オペレーションの改善とかより、こういうゼロからスタートが好き。
でも、いろんな人を見ているとある程度の枠がない中で、ものを考えるのは、何から初めていいのかさっぱりわからない人が多く、ツライという人が多い。

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続・朝の生産性

「集中力」と「思考力」を使う…ようはもっとも後回しにしたいタイプの仕事を朝一番にやることにして、生産性が上がった。
「やりたくない仕事」をエネルギーの少ない時間にやれば、その「やりたくない仕事」にものすごく時間がかかってしまうのだが、エネルギーの多い時間にやれば、本来後回しにしたくてしょうがない「やりたくない仕事」も予定より全然早い時間で仕事が仕上がる。

そのうえ、あの仕事やらないとマズイんだよなぁ‥と頭の中から追い出せないから、他の仕事をしていても気になるし、ひどいときはよく眠れない‥ということにもなる。

‥と考えると朝一番にやるのは、とてもよい習慣ということになるのだが‥。

これが思いのほか、疲れるのである。
今朝は、朝一番で英語の契約書に目を通し、終わって大学の課題レポートを仕上げ、途中、朝の家事(朝食、お弁当、洗濯、一部お掃除)をして、仕事で必要な論文2本を読んだら、もうぐったり。
これが時計を見るとまだ10時過ぎ
(まぁ朝の4時からこんなことやっているから‥というのもあるかもしれないが‥)

  脳の疲れは、運動でリフレッシュが一番というので、ヨガを20分やって、そのまま瞑想15分やったら、もう疲れてしまって眠くてたまらない‥。
頭がまわらないので、11時半にお昼ごはんを食べて、少しエネルギーが戻った感じ。

午前中でこんなだから、午後は、頭をさほど使わない事務処理(請求書・見積作成・経理処理)と、大学のWeb講義の聴講ぐらいしか、仕事や勉強は無理だろうと思う。
あとは家事で終了かな。

体力ないわ、エネルギー少ないわ、根性ないわ‥の三拍子揃った私だからこんな体たらくなのだ‥と自覚はしているが、会社勤めだと、自分の調子のよい時間帯に、意味があるとも思えない会議を入れられたり、同僚のおしゃべりがうるさかったり、そもそも朝の通勤で疲れたり‥とこれまた色々あるんだろうから、想像しただけで、私などは会社に仕事に行く…というよりも、会社に「参加」しただけで私など終わりそうである。

日本の会社は残業が多い‥というのは、仕事の生産性の問題もあるだろうが、オフィス環境がひどいというのも、かなり大きいと思う。
職場がうるさくて、落ち着かなくて、夕方以降じゃないと自分の頭で何かをひねり出すような仕事はとてもできない‥という人も多いのではないだろうか。

オフィスを広げてパーティションをつけたり、個室を増やしたりするのは、首都圏の賃料の高さから考えるとあまり現実的ではないだろう、固定費というのはできるだけ抑えたいものだ。
リモートオフィスやらモバイルワークというのは、そういう意味で経営者にとって、経費の面でもありがたく、さらに採用や雇用の維持にも役立つだろう。

‥が、なかなかそこに踏み切れないのは、自宅で仕事をする社員をどう評価するか?
成果で評価というのは、一口で言うと簡単だが、何をもって成果とするのかが、決まっていない会社は多い。
成果を決めるには、その人の仕事は何なのか?というのがまず先に必要だ。
外資系企業にはある、Job Descriptionというのがそもそも日本にはないので、各個人の自分の責任範囲と求められるものがそもそも決まっていない。

一律の勤務スタイルが社員間の公平性を損なわないという考え方もある。
工場勤務や店舗勤務の人は、柔軟な働き方ができないから、「ズルい」という話だ。
仕事が違う以上、勤務場所や勤務時間が違うのは当然のことで、従業員は不満があれば部署異動を出すか、転職という選択。
もしくは会社として公平性を担保したいのであれば、給与体系をいじる可能性もあるだろう。

こういう一連のことを考えると、経営者はもう面倒くさい…と後回しになるのだろうな‥と思う。

お尻に火がつく前に、やらねば…と思うなら、やっぱりこの件も、経営者が朝一番で取り組むと進むかな…。

面倒くさくて後回しにしたくなるタスクほど、後々に与える影響度が高いものだ。仕事もプライベートも…。
だからこそ、お尻が重たくなるんだよねぇ。

     

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ガラガラのスケジュール帳

お天気のいい日に、ベランダに洗濯物が干されているのを眺めるのが好きだ。
自分の家のベランダもそうだけれど、よその家のそういったベランダを見かけると嬉しくなる。
その家がとても幸福そうに見えるからだと思う。

人がスマホをいじっているのを見るのがなんとなく嫌いなのは、それが少しも幸福そうに見えないからじゃないかと思う。
自分の世界を外に連れ出してしまってきているようにも見える。
できれば、私も外でスマホを触っているのをあまり見られたくないと思うが、どんどんスマホは私の外の世界に侵攻してきている。

その昔、よく読んだ伊丹十三氏のエッセイに、「田舎っぺ」というのは、田舎で生まれ育った人ではなくて、本来自宅で隠れてやるべきことを外でやってしまう人のことだ‥というような内容を読んで、なるほどと思った。
自宅では許される行儀の悪さのようなものを外に持ち出すのは、たしかに垢抜けた行為とは言えない。
電車の中の化粧とか、いきなりカフェで口紅をなおす人とかを見るたびに私はこのエッセイを思い出す。

「大人の女」という言葉から想起される実在の人物やイメージは人それぞれだろうが、私の場合は、伊丹十三氏のエッセイだ。
「紳士」というのも同じ。
10代で手に入る限り読んだ彼のエッセイは、私の広い範囲に静かに染み込んでいる。

氏の離婚にまつわるエッセイに、離婚した瞬間に登山を終えて重たいリュックに荷をおろしたよなふんわりとした何とも言えない感触を味わった話があった。
私も一度目の離婚届けを出したときに、あまりの身軽さにこのエッセイを思い出した。
当時、20歳だった私、親しい友人たちはみんな大学に通ったり、仕事をしていたので、さほど学生時代親しいわけでもなかった同じく早婚で専業主婦になったもと同級生に区役所の電話ボックスで電話をしたのを今もかなり鮮明に憶えている。
そのぐらい嬉しくて嬉しくて誰かに喋りたかったのだ。

小学生の頃の私はスケジュールがびっちり埋まっているのが好きだった。
習い事が好きなのではなく、習い事でスケジュール帳にびっしり予定が埋まっているのが好きで、空白が嫌いだった。
その後の学生時代もアルバイトでびっしり埋まっていた。

そして大人になったら、先が決まっているのがとても苦手になっていた。
1日のスケジュールがいっぱいなのはいいのだが、週間単位、月間単位で見て、空白が3分の2ぐらいないとちょと憂鬱で、空白が半分になったら、もうどうやって逃げ出そうか考えいてる。
仕事もプライベートも同じ。
むしろ、仕事のほうが諦めがつく。

顧問契約も1年と言われると、気持ちが「無理!」…と叫びだす。
結果的にその仕事が1年以上になるのは全然かまわないのだが、契約そのものは最長で半年しか気持ち的に結べない。
それ以上、結ぶとどう抜けるかを考え出してしまって、いい仕事ができないと自分でもわかっている。
終わりが近いから持ち出しでもいいから、いい仕事をしようと思うのだ。
自分の経済的安定には絶対1年結んだほうがいいと分かっていても…。

年齢的にも、第一線で活躍する友人が多いので、呑みに行こう!となると、結構先のアポイントになることが多い。
約束したときは楽しみなのだが、近づいてくるとだんだん面倒になる。
忙しい友人がわざわざ時間を取ってくれるのだからおいそれとキャンセルなどできない‥。
これがまたプレッシャーになる。
先のスケジュールに予定が入っているのを見るのがイヤなのだ。
実際行けば楽しんで帰ってくるのだが、行くまでの憂鬱さが苦手だ。

突発的に一緒にお酒やご飯を楽しむことが好き。
だから、遊び相手は家が近くて、時間に余裕のある人ばかりになる。
そういう意味で、今は娘と遊ぶことがダントツに多い。
(何しろ、彼女は暇でのんびりしていて、ストレス少ない状況だから、突然今日は行きたくない‥という気分に私がなっても許してくれる)

  予定がないって素晴らしいな‥と思いながら、ベランダの洗濯ものを眺めてこの日記(もはや日記ですらない)を書いている。

その一方で、残り時間を確認するための有料アプリなんかをインストールしているのだから、他人から見たら矛盾だけだと思う。私の中ではそれなりに折り合っているんだけど。




 

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