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ガラガラのスケジュール帳

お天気のいい日に、ベランダに洗濯物が干されているのを眺めるのが好きだ。
自分の家のベランダもそうだけれど、よその家のそういったベランダを見かけると嬉しくなる。
その家がとても幸福そうに見えるからだと思う。

人がスマホをいじっているのを見るのがなんとなく嫌いなのは、それが少しも幸福そうに見えないからじゃないかと思う。
自分の世界を外に連れ出してしまってきているようにも見える。
できれば、私も外でスマホを触っているのをあまり見られたくないと思うが、どんどんスマホは私の外の世界に侵攻してきている。

その昔、よく読んだ伊丹十三氏のエッセイに、「田舎っぺ」というのは、田舎で生まれ育った人ではなくて、本来自宅で隠れてやるべきことを外でやってしまう人のことだ‥というような内容を読んで、なるほどと思った。
自宅では許される行儀の悪さのようなものを外に持ち出すのは、たしかに垢抜けた行為とは言えない。
電車の中の化粧とか、いきなりカフェで口紅をなおす人とかを見るたびに私はこのエッセイを思い出す。

「大人の女」という言葉から想起される実在の人物やイメージは人それぞれだろうが、私の場合は、伊丹十三氏のエッセイだ。
「紳士」というのも同じ。
10代で手に入る限り読んだ彼のエッセイは、私の広い範囲に静かに染み込んでいる。

氏の離婚にまつわるエッセイに、離婚した瞬間に登山を終えて重たいリュックに荷をおろしたよなふんわりとした何とも言えない感触を味わった話があった。
私も一度目の離婚届けを出したときに、あまりの身軽さにこのエッセイを思い出した。
当時、20歳だった私、親しい友人たちはみんな大学に通ったり、仕事をしていたので、さほど学生時代親しいわけでもなかった同じく早婚で専業主婦になったもと同級生に区役所の電話ボックスで電話をしたのを今もかなり鮮明に憶えている。
そのぐらい嬉しくて嬉しくて誰かに喋りたかったのだ。

小学生の頃の私はスケジュールがびっちり埋まっているのが好きだった。
習い事が好きなのではなく、習い事でスケジュール帳にびっしり予定が埋まっているのが好きで、空白が嫌いだった。
その後の学生時代もアルバイトでびっしり埋まっていた。

そして大人になったら、先が決まっているのがとても苦手になっていた。
1日のスケジュールがいっぱいなのはいいのだが、週間単位、月間単位で見て、空白が3分の2ぐらいないとちょと憂鬱で、空白が半分になったら、もうどうやって逃げ出そうか考えいてる。
仕事もプライベートも同じ。
むしろ、仕事のほうが諦めがつく。

顧問契約も1年と言われると、気持ちが「無理!」…と叫びだす。
結果的にその仕事が1年以上になるのは全然かまわないのだが、契約そのものは最長で半年しか気持ち的に結べない。
それ以上、結ぶとどう抜けるかを考え出してしまって、いい仕事ができないと自分でもわかっている。
終わりが近いから持ち出しでもいいから、いい仕事をしようと思うのだ。
自分の経済的安定には絶対1年結んだほうがいいと分かっていても…。

年齢的にも、第一線で活躍する友人が多いので、呑みに行こう!となると、結構先のアポイントになることが多い。
約束したときは楽しみなのだが、近づいてくるとだんだん面倒になる。
忙しい友人がわざわざ時間を取ってくれるのだからおいそれとキャンセルなどできない‥。
これがまたプレッシャーになる。
先のスケジュールに予定が入っているのを見るのがイヤなのだ。
実際行けば楽しんで帰ってくるのだが、行くまでの憂鬱さが苦手だ。

突発的に一緒にお酒やご飯を楽しむことが好き。
だから、遊び相手は家が近くて、時間に余裕のある人ばかりになる。
そういう意味で、今は娘と遊ぶことがダントツに多い。
(何しろ、彼女は暇でのんびりしていて、ストレス少ない状況だから、突然今日は行きたくない‥という気分に私がなっても許してくれる)

  予定がないって素晴らしいな‥と思いながら、ベランダの洗濯ものを眺めてこの日記(もはや日記ですらない)を書いている。

その一方で、残り時間を確認するための有料アプリなんかをインストールしているのだから、他人から見たら矛盾だけだと思う。私の中ではそれなりに折り合っているんだけど。




 


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