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哲学とデザイン

大学で芸術史の勉強をしているうちに、ふと気がついた。

芸術家が自分の作品と向き合うことは、「哲学」しているというのと一緒だ。
自分というのはどういう存在か?
自分は何をどうやって訴えたいのか?
新しい表現とは何か?
そもそも自分にとって、人類にとって芸術とは何か?

というような思索に耽って、そこからその時点での1つの回答としての作品を創っていく。

不思議だ‥と思ったのは、私は再度大学で学ぶなら、哲学を勉強しようとずっと思っていた。
今年度たまたま京都造形芸術大学で情報デザインを学ぶことを選んだのは、今回哲学を選ばなくても、私はなんだか哲学とは縁がありそうだから、またどこかで大学に行くことを考えるだろうと思ったからだ。

デザインはふとなんとなく浮かんだだけで、単純に言うと、デザインを使えば、ビジネスの上でロジックを使って論破とかしないでもなんとか、自分が信じる方向に人を動かせるんじゃないか?と思ったのだ。
論破してもろくなことはない。その後スムーズに仕事に協力してくれることなどない。
論破された側は敗北感を引きずるし、自尊心は低下するのだから、渋々協力してくれるならまだいいほうで、足を引っ張るチャンスを狙っているケースのほうが多くなる。
そういうのを避けるのにデザインとかビジュアルとか使えないかなぁ‥とふと思い、そこに通いやすそうな大学があらわれた。

これも「縁」だと思ったのと、芸大というのは、多分わたしの中で、私らしくない選択だと思ったので選んだ。
人生の後半戦は、選択に悩んだら今までの私なら選ばない私らしくないほうを選ぼうと思っている。

私は美術の授業などはとても嫌いで、自分の手から作品を生み出すことに全く興味などなかった。
今でもそのことに興味があるか?と聞かれれば、大いに疑問だ。
学生時代の美術の授業は、やっつけ感100%の提出物を出し、ヒドいときには提出すらしないので、5段階で2ぐらいだったと思う。(1にならないのは、授業出ているからだ)
大学ではレポート科目はそこそこ進みが早いが、実技科目はとことん苦手で自分の中に表現したいものというのがないので、自由課題のようなものほどさっぱりできない。

一方で、まったくもって苦手なものというのは、少しでもできるようになると猛烈に嬉しいというのが、ここ数年わかってきた。
トレッキングしかり、料理しかり。
TOEICなどを例に例えるとわかりやすいが、さっぱりできない人を450点のスコアに上げるのはそう難しくない。
難しいのは750点を800点に上げることだったりする。
たかが50点という単純な計算にはならない。
進歩がわかるまでの踊り場が長いので、モチベーションを保つのが難しいのだ。

これまでずっと鑑賞者として美術館に足を運ぶことがあっても、一番好きなのは、美術館の建物で、飾られている絵画や作品そのものではないことが多かった。
春から大学で芸術史の勉強やデザインとは何か?というものを学ぶことによってモノの見え方がずいぶんと変わってきたのがとても楽しい。

作品そのものを理解することよりも、コーチングと同じでこの人はどういう人生形成があって、こういう道を選んできてここにいるのか?
ここからどこに行こうと思っているのか?という話を聞くのが好きだ。そこにはたくさんんのストーリーがある。
そこから作品を見てみることで、ずいぶんと見え方が変わってくる。
同時代に生きた人がどんな作品を作っているかを合わせて観ることも楽しくなってきた。
それまで縦の系譜は考えてみても、時代という横のカットでモノを観ることは全く思いつかなかった。
そしてそこからどういう時代だったのか?とか、その国の歴史や文化に興味が広がり、ああ、みんな繋がっているんだな‥と実感する。

そうして、なんでもつながっているというのは、私にとってはそれは哲学を思い起こさせるのだ。
すべての学問は哲学から始まった。そうだよなぁ‥と思うのだ。
結局、色々とちがうことを選択したつもりがまた、元の場所にいる。
それは、少し残念なようにも思うが、いろんなことに流されたり、影響されたりしているようで、あんまり人の本質みたいなものって変わらないんだなぁ‥と安心させてくれるものでもある。

 


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