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2018年6月

失業保険のはなし

どうやら晴れていて、自宅のベランダに洗濯物が干してあるのを眺めるとこのブログが書きたくなるようだ。
どういう接続回路なのだろうか…

忙しいのか、忙しくないのか自分でもよくわからない日が続いている。
この後も続きそうな気がする。
大学・家事・仕事のバランスを取ることは、それなりにできるようになってきた気がする。

ひとつひとつのことをきちんと終わらせることが結局早いのだな‥と最近つくづく思う。
どれも時間を使うことを惜しまずとことん付き合うのがいいようだ。

新卒からカフェチェーンの会社で働いていた一人娘は、目標額の貯金もできたとの理由で今年の1月末に会社を辞めて、次は自分で飲食店をやるということで、自宅で事業計画を立てたり、メニューを作ったり、料理の練習をしたりとしていた。
しかし、さすがにこれ以上先は実際に物件を探す、もしくはもう少し資金を増やすために働くということをしないと、進めようがないというところまできたようだ。

なんと言っても、(娘曰く)鬼のような母親は、相変わらず家賃を取るし、それなりの給料をもらっていたので住民税も国民健康保険も高い。
ほとんど趣味やら交際やらの浪費のない娘でも、生きているだけでお金がかかることに気づき、このままではせっかく貯めておいた開業資金が減ってしまうのではないかと不安になってきたようだ。
実際に事業計画を立ててみると、あっちにもこっちにも、かなりお金がかかるというのもリアルにわかってきたのだと思う。

失業保険をもらうより、働いてそれ以上の額を稼いだほうがいいという結論になったそうで、来月からは以前の職場にバイトとして日中働き、夜は自分の目指すような下町の飲食店でバイトすることに決めたようだ。

私はずいぶんと仕事も職場もを変えてきたのだが、失業保険をもらったことがない。
ハローワークにも足を運んだことがない。
転職先はどこも猛烈に忙しいので、明日にでも来てほしいというのばかりだったので、有給消化すら全部できたことはなかった気がする。

ただ私の周りでは失業保険をきちんともらう人が多かったので、あと1ヶ月我慢すればもらえるのにもらわないという人には会ったことがなく、娘の話にちょっとびっくりした。
正社員で決まった仕事が決まった場合は、失業保険が打ち切りとなるため、お祝い金のようなものがあるらしいが、娘の場合はバイトなので、そういったものもないらしく文字通りゼロのようだ。

なんだか娘の話を聞いて、この子ひょっとして私に似ているのかもしれない‥と、初めて思った。
みんなに「そんなの損だよ。もらっておきなよ」と思われるものを面倒だとすっ飛ばしてしまうのだ。
「養育費ぐらいもらいなさいよ」‥と、私も後からずいぶんと言われたものだ。
そんな風にうるさく言われるだろうと思ったから、離婚するまで誰にも言わなかったな‥そういえば。

なんだか雨の少ない梅雨のような気がする。
今週は気温は高いけれど、風が強い日が多くてそれほど暑さを感じることがない。
それにしても6月に東京で30度超えはないんじゃないかなぁ


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リアル

「万引き家族」を観てきた。
映画に行くのはずいぶんと久しぶり。 映画の内容については、いろんな想いがあふれるようにあるので、ここでは触れないことにする。

何度か書いているが自宅にテレビがないので、動画に触れる機会はほとんどない。
そんな暮らしだから、映像のもつリアルさに対する衝撃の強さに慣れていないな‥と今回しみじみ思った。

今週は大阪で震度6の地震が起きた。
その日はたまたま学生時代からの友人が経営する小岩の居酒屋にいて、テレビでニュースを見る機会があった。
ネットのニュースから、この地震の影響で外壁が倒れ小学生の女の子が下敷きになり、亡くなったというのは知っていた。
いつもなら「かわいそうに…」という感想を抱いて終わるところだ。
この日はテレビでその倒れた壁の映像が映し出されるとのを観てしまった。
壁の重さのリアル感、壁の工事のずさんさ、ご両親はこの重さに挟まれた自分の娘の死をどれだけ嘆き悲しみ、苦しむだろう‥というのがものすごくリアルに自分の頭の中にわーっとやってきた。

そしてその後には、お笑いの人による大食いの番組がやっていた。
合間合間には明るいCM
このギャップの差が頭をまた混乱させる。

そんな体験の後に、この「万引き家族」の映画を観て、しみじみと自宅にテレビのある生活は私には無理なのではないか?と思った。
ある種のしあわせな家族がそこには存在するが、その家族の存在は許されるはずがない。
でも正しいはずの制度は何かがおかしい。
映画はフィクションだ、だからこれはすーっと通り抜けていいところだけれど、通り抜けられない。
やるせない感じがぬけない。

映像を見ると、どうやら嬉しいことよりも、悲しいことと辛いことの映像ばかりリアルに残ってしまうようだ。
それともそれがある種の世間のリアルだから、慣れておいたほうがいいいのだろうか?
慣れていいことなどあるのだろうか?
そもそも慣れることはいいことなのか?
まぁ、とくにテレビを導入する予定もないのだけれど。。。

映画を観るという体験で、もう一つ印象に残ったのは、映画館での高齢者のマナーの悪さ…。
マナーが悪い=若者ではなくて、マナーが悪い=高齢者になりつつあるのかな…

上映時間の途中に入ってきてウロウロと席を探し、あげくおしゃべり、音の出る飲食、そしてエンドロールのところでいきなりスマホを取り出すので、その部分だけ強い光が生じて、全体の雰囲気が壊される。
近所にあるこの映画館は、今どき23区内ではめずらしく、指定席ではなく、ネット予約もできず、さらに1つの映画の回が終わっても、よっぽどの人気作以外、席の入れ替えをきっちりやらないので、気に入ればもう一度そのまま座って最初から観られるという昔の映画館である。
そんなゆるさも気に入っていた。

しかし、こちらも時代の流れで、年内にTOHOシネマズと一緒になることになり、きっとこの辺りのゆるい仕組みは変わってしまうだろう‥。
残念だと思っていたが、これだけ高齢者のマナーが悪いと、むしろ変わってもらったほうがいいかもしれない‥と思うようになった。

映画もそうだったが、それ以外に付随するいろんな部分で社会について考えさせられる一日だったようだ。

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定期的なフィードバックと見守り

山小屋遊びの筋肉痛が抜けず、ぎこちない動作で家事をする。
梅雨入り宣言した途端に雨が降らなくなるのは、近年よくあることのような気がするが、今日もうっすら空が青くて天気予報はハズレそうだ。

朝食が久しぶりに一人だったので、朝からマルちゃん正麺を食べちゃうことにする。
長ネギがあまっていたので、白髪ネギにして、豆板醤と混ぜて辛葱ラーメン。
少し前だったら、絶対にこんなことしない。
そのままラーメンだけを何もトッピングせずして食べただろう。
最近はマメに動くようになったというよりも、ちょっとでも美味しく食べたいという欲求が強くなったために、食事の手間をかけるのを厭わなくなった。
キッチンの片側では、娘と一緒に食べるお昼のために、スープ用の干しエビを戻していたりする。

泊まりで出かけるといきなりペースが崩れるので、そこから戻すのがなかなか大変だったけれど、最近タスク管理や時間管理がある程度うまくいっているせいなのか、戻すのが早くなってきた。
自分の取扱説明書がうまく機能しているようで、気持ちがいい。
大学のために、仕事をだいぶ減らしているので、空白のスペースがあるから調整がラクだというのもあるだろう。

出張で営業同行したほうがいいと思われた案件を前後の電話会議に切り替えるようにした。
これがなかなかうまくいっている。
最初の数件だけ同行したが、わりと営業メンバーの癖がその時点でつかめていたようだ。
むしろ、同行すると、メンバーに甘えが出て当日の商談をどう進めるかのシミュレーションが半端になってしまう。
商談前にどう進めるのか、資料は何をどう出すのかを細かく電話会議で確認するという流れができると、これがリハーサルとして機能している。
商談が終わると、うまく言った点とうまくいかなかった点をまた電話で話をする。
ここでは大半が聞き役で、コーチング的な関わりをしている。

この顧問先の案件をやってみて、定期的なフィードバックが本当に重要なんだというのがしみじみ理解できた。
ティーチングより伸びしろがずっと大きくなる。
見守る人がいるっていうのは、安心して色々とチャレンジできる環境ができるってことなのかもしれない。








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「大丈夫、大丈夫」

今日も暑くなるのかな?と思わせる朝の空。
昨日のトレッキングのせいだろう。腰回りが筋肉痛。

2日前からベランダで干しているミニトマトは、今日一日干したら裏返せそう。
干したその日から甘い香りがしてきて、その匂いを嗅いだら、あ、野菜干すの好きかも‥と嬉しくなった。

大学の課題が山積みだけれど、今日はちょっと家の中を整理したり、掃除したりしたいなぁ。
なんだかモノがゴチャついている気がする。
課題が山積みだから逃げたいのか、はたまたゴチャゴチャしているから課題に取り組む意欲が出ないのか…。

人混みが嫌いなので、買い物にあまり出ないほうだと思うが、買い物そのものが嫌いなわけではない。
やっぱり新しい何かを買うというのは、高揚感がつきまとう。
ただ、最近はそれ以上にモノが増えるのがイヤ。
一つモノを増やすとそれに関連する何かを増やしたくなってキリがなくなるのがわかっている。
だからキッチン用品も山の道具類も必要最低限にしている。

たくさんのモノを持っていてもきちんと整理整頓して暮らせる人もいるし、多少ごちゃごちゃしていても余り気にならない人というのは結構いるようだ。
多分、そういう人々は、人間としてのエネルギーが高いのではないかと想像する。

その昔、ユーミンこと松任谷由実が、(多分ananのインタビューだったと思うのだが)髪を長くするというのは、すごくエネルギーが取られることだから、自分のようによっぽどエネルギーが高くない人には薦められない‥というようなことを話していた記憶がある。
本当にそのとおりだと思う。

私にとっては、髪もモノも同じような感じ。
ただでさえ、極端に少ないと自負しているエネルギーをそんなところに割くわけにはいかない。

私は毎日のように自分に、「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせているような気がする。
できるだけ細かく、仕事やタスクを分割して、なるべく毎日の小さい作業に落とし込んで、心の抵抗を下げている。
仕事にしても一気に片付けるなんていうのは、30代前半までしか私にはできなかった。
始めたことはなるべく毎日やる。
一度止めるとまた再開するのにすごくエネルギーを使うことがわかってきたからだ。

大学の勉強もどんなに小さくても毎日必ず何かしらする(それがたとえ、大学のポータルサイトのチェックだけであっても)。
運動も必ず何かしらする(それがたとえ、スクワット10回であっても)。
ブログやSNSも必ず1日1回はは何かを書く。
コーチングの仕事も顧問の仕事も1日に1回は必ず何かしら進めている。

さて、今日も自分に「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせながら、叱ったり、なだめたり、褒めたりしながら一日自分自身を使い切ろう。

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