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2018年8月

フリーランスと予備日

今年の夏は、猛烈に暑い or 台風、という2つの選択肢しかないのでは?という日々がつづいている。
毎日、通勤するわけでもない私にとっては、台風で涼しいのも悪くない‥などと思っていたのだが、低気圧の影響で全身がだるく、頭が重くなるということを今年は身をもって理解し、これなら暑いほうがマシだ‥と思うようになった。

おそらく今までも同じ理由で、体調が悪いというのがあったと思うのだが、単純に疲れがたまっているか、疲れがとれていないか…、年齢だろう‥と思っていた。
Twitterで低気圧で具合が悪くなる人が多いという話を知り(しかも女性のほうが多いらしい‥)、頭痛〜るのアプリを使うようになって、自分もどうやらこれらしい‥とわかってきた。

ものすごく頭痛がひどいとか、熱があるとかだと、なんにもできないので、あきらめて寝ようとなるが、それほどひどいわけではない。
…が、実際に何か作業しようと思うと、なんともだるいし、進まない‥あきらめつかず、いろいろやって、イライラしている‥・という近くにいる人から見るとかなり迷惑な人状態。

私は、基本的に仕事を完全OFFというのをしない。
完全OFFしないと疲れがとれない、休みならない…という人は、見ていると、しょっちゅうあちこちから連絡がきて、終始携帯電話を手放せず、SNSやメールをチェックしていないといけないような仕事の人が多い気がする。
私は、残念ながらそんな重要人物ではない。私にすぐに連絡がつかないと困るという人は基本的にいない。
だから、完全にOFFしないと仕事の連絡がきてしまって大変というのがないのだと思う。

毎日、大体土日含め3時間ぐらいは仕事をしている。多い日で5時間ぐらい。
間をとって、4時間だとすると、4時間×7日間=28時間。
まぁ、そんなもんだと思う。

私のように特定ジャンルのスペシャリストではないフリーランスは、何をやっていてもどこか仕事につながってしまうので、どこからどこまで仕事なのか自分でもよくわからない。
先日も、私のブログを良く読んでくださる某企業の上層部の方から読書会の運営やってほしいという話をいただいたり、呑みに行ったら複数の飲食店を営む知人にSNSの活用を手伝ってほしい‥というような話をいただくこともある。
我ながら、よくこんなんで食いつなげるな‥と思わないこともない。
まさに佐々木俊尚さんの言うところ「よわいつながり」だと思う。

なんだか話がそれてしまったが、パワハラにあって、なしくずしにフリーランスになって数年後にフリーランスの先輩から、「仕事は一日絶対予備日を設けておいたほうがいい」とアドバイスをいただいた。
尊敬している先輩からのアドバイスなので、そのまま疑問なく受け入れた。

だから、週に1回は平日に何もアポイントのない日が必ずある。
必ず作業日からもはずすようにしている。
そう言うと、先程のはなしと合わないのでは?と言われるかもしれないが、なんのアポイントのない日でも仕事というのは何かしらあるもので、そのうち読もうと思っていた資料を読んだり、コーチング関連の資料を整理したりとか何かしらあるもので、そもそもそういう「いつかやる」みたいな作業は、ぜんぶGTDの「いつかやる」というものに格納されている。
その日にやらなくてもいいんだけど、やる気あったらやるかな…みたいなものばかりが詰まっている。

最近はそういう日は、美術館行ったり、国会図書館にこもって、ちょっと読みたいんだけど地元の図書館にないのよね‥というような本をまとめて眼を通したりしている。

この予備日のアドバイスが本当によかったなぁ‥と思ったのは、今回のこの台風による体調悪化。
予備日のおかげで、そうアップアップせずに済んでいる。
一人でビジネスやっているんだから、倒れたらアウトだし、今度はもっとできる人材をアサインします‥なんていうのもできないのだから、こういう工夫がやっぱり必要だ。

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花森安治と暮しの手帖のはなし

あれ?
朝、家事やら仕事のメールの返信やらが一段落してこうして、ひとりでお茶をのむのは、ずいぶんと久しぶりだ。

大学のレポートの〆切に追われていたのと、仕事もプライベートもバタバタと約束がはいっていて、気ぜわしかったんだろうな。

朝一番で公園を走って、瞑想して、そのまま公園のベンチで、数検のアプリをやって、Duolingoでちょっとだけ英語の勉強をして、その日の予定をざっと確認する‥というのが朝の習慣になってきている。
たぶん、この習慣のおかげで、気ぜわしくても。つかれを感じたり、イライラしたりすることが少ないのだろう。

今日はとくに予定がないので、水戸の美術館に行こうかと考えていたが、瞑想していたら、今日はせっかくだから、予定をいれないでぼーっとしたほうが贅沢に過ごせる気がしてきたので、中止することにした。
まぁ、ご縁があれば展覧会の会期中に行くことはできるだろうし、行けなければ縁がなかったと思うことにする。

大学のレポートがきっかけで、暮しの手帖の初代編集長だった花森安治氏に興味をもって、関連本をやたらに読んでしまった。
離婚後、自分の身の回りの家事をやるようになってから、暮しの手帖が気になるようになり、最近は毎号買っている。

デザインを学ぶということで、illustratorやPhotoshopのスキルを学ぶだけだったら、専門のスクールで短い期間で学び、スキルを身につけることができるだろう。
お金と時間をかけても、大学で学ぶのがたのしいのはこういう思わぬところで派生する実務に直結しない興味や好奇心をかき立てられることだと思う。
花森安治について調べても直接的なスキルアップはなにもないだろう。
だからこそ、たのしい。
花森安治という人は、とてもユニークだ。
スカートをはいたこと、商品テストへのこだわり、広告を一切掲載しないというこだわり、暮らしについての美学などは、わたしもなんとなく聞いていたが、デザインの勉強をしながら、この人の作品を見ると、デザイナーとしてのすごさもよく見えるようになってきた。
こういうとき、また、大学に行ってよかったなーと思うのだ。

花森安治のデザイン集を眺めていたら、とても懐かしい本に出会った。「お母さんが読んで聞かせるお話」という本だ。
わたしが小さい頃自宅にあって、母にせがんで何度も読んでもらった。
タイトルの通り、子供向けの話なのだが、絵本になっておらず、漢字がふんだんに含まれているので、自分では読めなかった。
藤城清治氏の影絵は豊かな色彩の絵本に慣れたわたしには、幻想的というよりもむしろ少しこわいものだったがそれがまたなんとも子どもの心をくすぐったのだと思う。

以前に丸善日本橋で、久しぶりにこの人の影絵を見て、そういえば、子どものときに読んでもらった本はなんというタイトルだったのだろう?とAmazonで探してみたことがあるが、タイトルも出版社もわからず、作者もわからなかったので、見つけることができなかった。
こんなところで会えるとは…。

わたしが読むようになった暮しの手帖は、松浦弥太郎氏が編集長となったあとのものからだと思う。(現在はまた別の方が編集長をされている)
いったい、どういう縁で松浦弥太郎氏は暮しの手帖の編集長になったのかしら?などと、ふと思って今度は「暮しの手帖日記」を読み始めてしまった。
まだ読みかけで、結局なぜ松浦氏が編集長になったのかはわかっていないのだけれど、松浦氏の文章を読んでいたら、温かいお茶がのみたくなって…。
…と最初のはなしに戻るのです。



美しいものは、いつの世でも
お金やヒマとは関係がない
みがかれた感覚と、
まいにちの暮しへの、しっかりした眼と、
そして絶えず努力する手だけが、
一番うつくしいものを、いつも作り上げる

(『美しい暮しの手帖』1世紀1号 1948年9月)








お母さんが読んで聞かせるお話 (1972年)

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