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花森安治と暮しの手帖のはなし

あれ?
朝、家事やら仕事のメールの返信やらが一段落してこうして、ひとりでお茶をのむのは、ずいぶんと久しぶりだ。

大学のレポートの〆切に追われていたのと、仕事もプライベートもバタバタと約束がはいっていて、気ぜわしかったんだろうな。

朝一番で公園を走って、瞑想して、そのまま公園のベンチで、数検のアプリをやって、Duolingoでちょっとだけ英語の勉強をして、その日の予定をざっと確認する‥というのが朝の習慣になってきている。
たぶん、この習慣のおかげで、気ぜわしくても。つかれを感じたり、イライラしたりすることが少ないのだろう。

今日はとくに予定がないので、水戸の美術館に行こうかと考えていたが、瞑想していたら、今日はせっかくだから、予定をいれないでぼーっとしたほうが贅沢に過ごせる気がしてきたので、中止することにした。
まぁ、ご縁があれば展覧会の会期中に行くことはできるだろうし、行けなければ縁がなかったと思うことにする。

大学のレポートがきっかけで、暮しの手帖の初代編集長だった花森安治氏に興味をもって、関連本をやたらに読んでしまった。
離婚後、自分の身の回りの家事をやるようになってから、暮しの手帖が気になるようになり、最近は毎号買っている。

デザインを学ぶということで、illustratorやPhotoshopのスキルを学ぶだけだったら、専門のスクールで短い期間で学び、スキルを身につけることができるだろう。
お金と時間をかけても、大学で学ぶのがたのしいのはこういう思わぬところで派生する実務に直結しない興味や好奇心をかき立てられることだと思う。
花森安治について調べても直接的なスキルアップはなにもないだろう。
だからこそ、たのしい。
花森安治という人は、とてもユニークだ。
スカートをはいたこと、商品テストへのこだわり、広告を一切掲載しないというこだわり、暮らしについての美学などは、わたしもなんとなく聞いていたが、デザインの勉強をしながら、この人の作品を見ると、デザイナーとしてのすごさもよく見えるようになってきた。
こういうとき、また、大学に行ってよかったなーと思うのだ。

花森安治のデザイン集を眺めていたら、とても懐かしい本に出会った。「お母さんが読んで聞かせるお話」という本だ。
わたしが小さい頃自宅にあって、母にせがんで何度も読んでもらった。
タイトルの通り、子供向けの話なのだが、絵本になっておらず、漢字がふんだんに含まれているので、自分では読めなかった。
藤城清治氏の影絵は豊かな色彩の絵本に慣れたわたしには、幻想的というよりもむしろ少しこわいものだったがそれがまたなんとも子どもの心をくすぐったのだと思う。

以前に丸善日本橋で、久しぶりにこの人の影絵を見て、そういえば、子どものときに読んでもらった本はなんというタイトルだったのだろう?とAmazonで探してみたことがあるが、タイトルも出版社もわからず、作者もわからなかったので、見つけることができなかった。
こんなところで会えるとは…。

わたしが読むようになった暮しの手帖は、松浦弥太郎氏が編集長となったあとのものからだと思う。(現在はまた別の方が編集長をされている)
いったい、どういう縁で松浦弥太郎氏は暮しの手帖の編集長になったのかしら?などと、ふと思って今度は「暮しの手帖日記」を読み始めてしまった。
まだ読みかけで、結局なぜ松浦氏が編集長になったのかはわかっていないのだけれど、松浦氏の文章を読んでいたら、温かいお茶がのみたくなって…。
…と最初のはなしに戻るのです。



美しいものは、いつの世でも
お金やヒマとは関係がない
みがかれた感覚と、
まいにちの暮しへの、しっかりした眼と、
そして絶えず努力する手だけが、
一番うつくしいものを、いつも作り上げる

(『美しい暮しの手帖』1世紀1号 1948年9月)








お母さんが読んで聞かせるお話 (1972年)


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