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私の名前はルーシー・バートン

体調が快復してきたような気がする。
まだ朝のウォーキングを再開するところまではいかないけれど、今日は一日まったく横にならずに過ごすことができた。

2日間かけて実施するオフサイトミーティングのファシリテータの依頼がきており、午前中はミーティングの設計とその段取りをひたすらマインドマップを使って検討する。
ミーティングオーナーの一番求めているものがまだ曖昧なのだな‥というのが見えてきた。
実際のミーティングの前にまずはオーナーのもっとも希望するものを聞き出すための質問をあれこれ考えてそこでもっとも頭を使ってもらわないとダメだろうな。

先日購入した「イシューからはじめよ」がこのミーティングの進め方にすごく参考になる。
Kindleでこの本を読み、これ使えそう‥と思うことを片っ端から、フランクリン・プランナーにメモをしていく。そうこうしているうちに、あ、これも参考になるな‥と、本とかサイトとかも思い出せてきて、思考が広がってくる。

仕事も大学の課題も頭に寝かせておいて、ふと何かを思いついたときに、フランクリン・プランナーにメモを取り、時間があればそのままそこでマインドマップまで書いてしまうというのが、最近多い。
このやり方だと、スルスルっとアイデアが出てくることが多い。机に座ってうんうん唸る自分を想像するだけで、後回しにしたくなる考えるという作業がこれだと、その場の思いつきでぱぱっとやってしまい、その後に机に向かうときはきちんと言語化して人に使えるメッセージにするためだけなので、ものすごくかける時間が減るのも有り難い。
実際に紙に落とすことが、すごく重要な気がする。

久しぶりに瞑想をする。
記録を見てみると10日ぶりだった。
調子が悪いとどうにも身体にいいことを全て止めたくなるのはなぜなのだろう?そういうときこそ、やるべきだと思うんだけどなぁ。

先日、中華街で購入した白毫銀針を淹れる。
いつだったかも、自分は休憩を取るのが下手だと書いた気がする。
少し甘みのあるお茶をのみながら、そもそも休憩って何したら休憩なんだろう‥と思う。
自宅で仕事をすることが多いので、姿勢がかたまると疲れてくる‥そういうときは家事をするようにしている。
でも、これって休憩じゃないよね。

好きな本を読むのは休憩なのか?
本を読むのは生産的なこと‥ととらえる人にはたぶんこれは休憩じゃないだろう。
リラックスしていれば休憩だとすると、ネットサーフィンは休憩だと思うが、この休憩はよくない‥と一般的によく言われている。
なんというか、人から見て生産的なことって休憩じゃない‥という前提があるような気がする。
散歩だって、身体のため‥というともう休憩じゃないのかな。

このところ、大学に関してはレポート系の科目を片付けることに集中していたので、Udenyでの学びから遠ざかっていたのだが、久しぶりにIllustratorの勉強をして、以前よりずいぶんと操作が頭に入っていることがわかった。

「私の名前はルーシー・バートン」を読了。
そう長いストーリーではないのだが、久しぶりに翻訳小説を堪能したという感じ。
翻訳小説を読むのは、入り込むまでにエネルギーがいる。
若い頃よりずっと読まなくなったのはそのせいだと思う。
でも、一度入り込むと今まで体験したことない「揺れ」みたいなものがずっと続いて、そのリズムがあってくるとすごく気持ちよくなる。

今まで読んだどんな小説にも似ている箇所が見つけられないなぁ‥と思って読んでいた。
同じようなことを感じたのは、「オリーヴ・キタリッジの生活」か、海外の小説ってどこか似ているのかなぁ‥などと思っていたら、最後の訳者あとがきで同じ作家だとわかった。
「ああ、そうか」とも思うし、自分が全然深く読めていないんだな‥とも思う。

「本を読んだなぁ」としみじみ満足に思う本だった。
そういう本ってありそうで少ない。










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