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2019年5月

親子の距離間

久しぶりにノンノン(一人娘 27歳)から電話。
今週末から新婚家庭の引っ越しだけれど、ガス・電気・水道の手続きとそれらの支払い方法についての相談だった。

ガスは開栓にきてもらわないとならないから、気をつけてね。あとは多分、すぐ使えるよ。
支払いはね‥などと話して、電話を切る。

「嫁に行ったら、本当にかわまなくなるんだねぇ」とポチ(夫)に笑みを含んだ調子で言われる。

ポチは私が娘を産む前からの友人で、2回の結婚も離婚もリアルタイムで知っているので、私はとってもノンノンLOVEなのをよく知っている。
特にポチがそれに感心するのは、私はそういうタイプだと全く思っていなかったら、驚いたというのもあると思う。
私は、人間関係にとてもドライな人だと大半の人は思っているようだ。
特に古くからの友人たちは…。
(自分は普通だと思っているけれど)

5月の連休に娘が結婚して、その2,3日はちょっとノンノン・ロスみたいになっているのもポチは見ていたので、余計にその後かまわないのに驚くのかもしれない。

かまわないのは、意識的にやっている。
私は仕事もそうなのだが、一つ口を出すと全部口を出したくなってしまうタイプなので、きっちり手放すか、きっちり口と手を動かすかしかない。

大半の親がそうだと思うが、親は自分の子供にはつまずいてほしくない、自分が経験してわかったことを同じようにつまずいたりしないために、あらかじめ教えておきたい‥というのがある。

でも、それは裏をかえせば、本来自分で感じるべき痛みや失敗を素通りさせてしまうことになるし、自分の頭でまずは考えるというのを億劫にさせてしまう気がするのだ。

可愛くてしょうがないので、いろいろ聞きたいし、困っていることはないか、してあげられることはないかと思うのだが、私が手を出すのは色んな意味でパワフル過ぎるお節介になるので、ノンノンから連絡がくるまで基本的には連絡しないスタンスをとっている。
このぐらいのルールを自分で決めておかないととても私には、程よい距離などが取れない。そういう意味ではどうにも不器用な性格なのだ。

Facebookには、去年のこの日はこんな投稿をアップしていましたよ〜というこれまたお節介な機能があって、ここ数日母の日記念の旅行の写真が出てきていた。
子供が結婚すると、こういう機会もなくなるのだなぁ‥と見るたびに思う。

ま、ノンノンのほうは、お母さん再婚してそっちが忙しくて、私のことなんてどうでもいいに違いないわ‥、あの人は仕事とかそっちのほうが娘より大事なのよ‥なんて、思っていそうな気がしなくない。


親の心子知らずということわざもあるしね。

 

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追伸:

昨日は「デザインの(居)場所」という展覧会を見に東京国立近代美術館工芸館へ。
その話はまた別途ブログ記事にまとめる予定。
そして、終わってまたまたプールへ。


スマホアプリで漫画を読む

読書猿さん(@kurubushi_rm )のTweetから「せんせいのお人形」という漫画を知り、Amazonで検索すると評価もすごく高かった。
しかし、いかんせん連載途中の漫画を買うとジリジリしてしまうことも多く、尻込みしていたところ、こちらのTweetを発見。



スマホアプリで漫画を読むということを初めて経験した。

電車の中で読んでいる人はよく見かけるが、Kindleで読むのさえ辛い私には、よくあんなに細かいものを読めるなぁと感心していた。
実際に自分でやってみると、この漫画の絵がそれほど細かくないというのもあるのだが、作品内容にグイグイと引き込まれて、そんなこと全く気にならなくなり、読みまくって110話まで全部読んでしまった。

今月は、Kindleで小説や漫画の垂れ流し読みをやめようと決意していた。
・・・・が、一気にここでお金が出ていき、決意、意味なかったなぁ‥という感じ。

若い人はスマホ見ながらご飯食べたり、歩きスマホしたり、そこまスマホ好きなの?…なんて思っていたけれど、ものすごくそうしたくなる理由がわかった。
まったく途中で止められない。

きっとゲームとかも同じような魅力なんだろうなぁと思う。

SNSにはまってスマホが手放せないのと、コンテンツにハマってスマホが手放せないのは、まったく同じことではないんだな‥というのもよくわかった。
SNSは「つながり」「承認」という他者との関係性がそこにはかならずあるが(それがたとえリアルで知らない人であっても)、コンテンツには他者がいようがいまいが十分一人で楽しめる。
ゲームなどはきっと対戦型とかもあるだろうから、関係性+コンテンツの融合した楽しみがあるのかもしれない。

「せんせいのお人形」の作品に戻ると、主人公の女の子が本を読むことで世界がぐーっと広がっていくところがたまらなく好きだ。
登場人物一人一人の魅力もこの作品のステキなところだ。

ネットで漫画家が誕生する時代というのは、私のように漫画好きな人にはたまらなくいい時代だなぁと思う。
どこでも漫画が読めるという危険性はあるけれどね。

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追伸:
昨日は朝のうちにプールに行ってから、仕事というのを試してみました。
運動すると脳から出てくる物質で色んなことが前向きに捉えられて、楽観的になれるというのはやっぱり本当でした。
写真はプールの帰りに雨上がりの緑が美しかったので。

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ヤバイ 中国芸術史

通っている大学の受講科目に中国芸術史というものがあり、ただいま履修中。
この科目は、中国の古代から明清時代に至るまでの芸術史で、陶器、山水画、書、のといった中国の造形芸術の流れを体系的に学ぶもの。

うちの大学ではウェブ・スクーリングと呼ばれる受講すたいるのもので、NHKと協同で制作したという動画教材を使う。
このウェブ・スクーリングは、素晴らしい画像と聴き心地のいいナレーターの声で構成されていて、非常に学習意欲のわくものだ。

学習を開始するなり、あっという間に中国の広大な景色に魅了された。

誰かと旅行に行く話が出ても、中国というのはまず出てこない。
台湾はあっても中国大陸はない。
以前、外資系の会社に勤務していたときに、World Wideのチーム・ミーティングを上海でやろうという話が出ていたが、なぜか立ち消えになってしまった。
どうも中国とはこれまで縁が薄かった。

アメリカに初めて行ったときに、どこかで見たような風景だな‥と感じた。
意識しなくとも昭和の時代にはずいぶんとアメリカ映画を観たり、どこかの雑誌や翻訳小説などを通じてアメリカに親しんでいたのだと思う。
昭和の時代、アメリカは多分もっとも身近で且つみんなが憧れる「外国」だったのではないかと思う。

おそらくだけれど、その身近さは中国にはかなわないような気がする。
中国には実際に訪問してみると、もっともっと共通しているもの、懐かしいと感じられるものがあるのではないかと思う。
映像を見る限り、その広大さは日本にはないけれど、漂う静けさとそういった静けさを愛するという感性はかなり日本と共通するのだろう。
でも、中国のようなふくよかさは日本の美術には無いような気がする。
これは大陸文化と島国文化の違いなのかもしれない。

学生時代は、ずいぶんと欧米の映画を観ていた。
もともとは友人たちとハリウッド映画観ていたが、社会人になり一人で観るようになるとヨーロッパの単館ロードショーみたいなものに移行していった。
その後、アジアの映画を観るようによって、「あ、こっちのほうが全然ラク!」と気がついた。
どうも、私はかなり無理して欧米映画を観ていたようだ。
なんというか、アジアの映画は俳優たちの顔も映画の粗筋もすんなり入ってくるし、全身をリラックスして観ることがでたのだ。
気づかなかったが、おそらく欧米映画を観るときは、身体に力を入れて理解しようと思っていたのだと思う。

で、話を戻すと、今回中国の造形美術作品をあれこれ見て、あー、こっちのほうが好きだー!と強烈に感じた。

ずいぶん前からヨーロッパの画家の展覧会は観ることがなくなった。
日本では非常に人気があるので、しょっちゅう開催されるし、話題にもあがるのだが、混雑もあるのだけれど、作品そのものが疲れるのだ。
まだ、時代でキュレーションしたものなどで、色んな画家の作品があるものはいいのだけれど、画家の回顧展みたいなのだと、誘われてもキツイな…とすら、思う。

素晴らしい作品だな‥とは思うのだが、身近にあったら疲れるだろうし、疲れた身体で自宅にかえって、ヨーロッパのものが自宅になどあったら、エネルギーが吸い取られそうな気がするだろう。

仕事でもプライベートでもパリを訪れたことがある。
確かに街並みはとても美しいし、建物などもどれも素晴らしい。
でも、なんだかその細部へのこだわりが、なんとも疲れるのだ。
変な話だが、「あー、肉食の人たちが作った文化だな」‥と、初めて訪れたときに感じた。
この人達と戦争して日本が勝てるとは思えない。
あっさりしている部分が全然ないように私には感じるのだ。

これまで山水画や書などは、全く興味がなく、全部同じに見えていたのだが、この科目を通じて見ると、これがもうとても華やかに見えたりしてくるから不思議だ。
陶器に関しては、もともと好きだったが、時代別の変遷を見てますます興味がわいてきた。

よく考えてみると、以前に書いた「ヴァロットン展 三菱一号館美術館」というブログの記事にも、ヴァロットン展よりも併設の「静嘉堂の東洋陶磁コレクション」のほうが良かったと書いてある。

ヨーロッパの絵画を見ても、ヨーロッパの歴史をもっと知りたいとは思わなかったが、中国に関しては、その辺りも知りたくなってきた。


また、気の遠くなるようなものに興味を持ってしまったな‥と我ながら思うのだが、とりあえず、中国の作品が見られる美術館をピックアップしだしたりして、こりゃヤバイ‥などと独りごちている。

 

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昨日の日中は久しぶりに涼しくて過ごしやすい日でしたね。

写真は、コーチングのオフィス(青山)から撮ったもの。

朝イチからコーチングでした。これは8時頃の写真。

 


久しぶりの晩ごはん作り。

久しぶりに晩ごはん当番が回ってきた。
今日のスケジュールは、zoomの会議が1件と大学の課題を片付けることだったので、引き受けることにした。

先日、家事の分担のはなしで書いたとおり、私は食事係ではないので、まとも晩ごはんを作るのはずいぶんと久しぶりだ。
(細かい話をすれば、平日の朝食作りは私が担当。でも、これは毎朝ほぼ同じメニュー(米、味噌汁、焼き魚、漬物)なので、食事を作っているというかんじでもない。)

前から食べてみたかった鶏ももの塩辛で焼くやつをやりたかったのだが、塩辛は結構いい値段がするので、今度自分で作ったときにやろうと思い、半端に残っていたアンチョビで作ってみた。
皮をパリパリにしないと‥と思っていたのに、火が通り切らないのがこわく、最後に蓋をしてしまったら、蒸されてしまって全然パリパリではなくなってしまった‥‥。
アホですか?
味は美味しかった。味付けはアンチョビ+酒だから失敗しようがないとも言える。

ラタトゥイユも久しぶりにたっぷり作る。
夏野菜をあれこれ切るのは、香りがよくて楽しい作業だ。
野菜だけで作るのがいつも定番だけれど、この日はトマト缶とトマト缶と同量のベジブロスのスープを入れ、さらにブロックベーコンが半端に残っていたのでこちらも投入。
これはこれでいい感じだった。

それから、クレソンとゆで卵を入れた新じゃがのポテトサラダ。
こちらは先日プレゼントしていただいたエゴマ入りの粒マスタードを入れたら、一段味のレベルが上った感じ。
粒マスタードは美味しいのだけれど、結構いい値段がするのでなかなか手が出ない。

たかが調味料と言っても、何でもかんでもグレードを上げると下げるの辛いので、ほどほどにしておかないとねぇ‥。

冷蔵庫に茹でて残っていたブロッコリーといんげんがあったので、こちらはチーズをかけて、トースターで焼いた。
こちらはどうもチーズ自体がそもそもあまり美味しくなくて、微妙な感じ。

久しぶりに洋食なので、白ワインをポチ(夫)に買ってきてもらう。
オーガニックワインの安いやつって、基本マズイので勘弁してほしいなぁ。
すごくワインに詳しい人なら美味しいものも探せるのだろうが、素人が手を出すものではない‥と個人的には思っている。
とは言え、久しぶりにご飯を作ったらそれはそれで充足感があって満足。

暑い日が続いているので、食後にくるみ(ミニチュア・シュナウザー1歳1ヶ月)とポチと散歩。
くるみの夕方は、【散歩→ご飯】というものだったが、このところアスファルトが熱すぎるので、【ご飯→散歩】にしている。
最初のうちは、それがわからなかったようで、「お散歩連れてってくれないの!キー!」みたいな感じで、嫌がらせにトイレ以外のところでオシッコして、怒られていたが、少しずつ慣れてきた様子。

そういえば、最近自宅で仕事をしていると、トイレが上手にできると知らせに来るようになった。
トイレを替えて欲しいというよりも、褒められたいから知らせにくるようだ。
前に飼っていたチャム(ヨークシャーテリア)もそういえば、褒められたくて必ず知らせにきたなぁ・・と思い出す。
たくさん褒めていると、「いいなぁ、トイレしただけで褒められるんだから‥」と一人娘(現在、27歳)がぶつぶつ言っていた。

夏の夕方の空気というのは、とりとめもないことがどんどん浮かんでくる。

 

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日差しが強くて、影が濃い。

暑さのピークはここまでで、これからまた少しずつ和らいでくるのだとか。

 

 


洋服を買いに

人と顔を合わせれば、「暑いですね」という言葉がまっさきに出る週末だった。


土曜日の第一回目の読書会も無事に終わった。


最近、たくさんの人といっぺんに話すというのを仕事の会議以外では経験することが少ないため、なんだかテンションが上ってしまい、帰りがけに無印良品でリネンの服を買ってしまったり、そのまま行きつけのお店にワインを飲みに行ってしまったり‥と、遊びまくってしまった。

 

ポチ(夫)の職場がこの春ぐらいから、カジュアルOKになり、とにかくやたらに暑がりの夫なので、これは有り難いということで、日曜日はその買い物に。


経済的に豊かだった時期は、ずいぶんと高いものを着ていたようだが、経済的に困窮してからはとにかく安いもの…となり、やってみるとそれはそれで全然問題と思ったのか、まぁ、お金をかけない人である。

一般に一度贅沢な暮らしに慣れてしまうと、それをなくすことはずいぶんと辛いことだし、人によってはかなりみじめにも感じると思う。
もともとの長年の友人という立場から見ても、この人のその辺りの切り捨て具合はスゴイと思う。

高い物を買うというのがまったくない。
「だって、もう金ないし」の一言で終わりで、そういう暮らしに執着が全然ないようだ。
今や腕時計すら持っていない。本人曰く、その手の高いものは困窮した時期にみんな売り払ってしまったそうだ。
私だったら、もう一生買えないだろうから‥と、大事に取っておくような気がする。

…とは言え、妻の立場から見ると、それならそれでそうならないように貯金しよう‥という考えにはいたらないところが、なんだかね‥という感じではある。
「金なんてなきゃないで、なんとかなるんだ」という部分だけが残ってしまったようだ。
良く言えば、ポジティブシンキング。
悪く言えば、反省できないアホである…
ということで、財布はガッチリ私が握ることになる。

そんな感じだから、買い物も「じゃぁ、日本橋か銀座にでも出て…」なんて話にはならず、地元・錦糸町のGUでほとんど終わってしまった。
男性というのは、どうも試着をしない人が多いようだが、私と買い物に行ってそんなことは許されないので、全部試着させて、その色はだめ、その形は太って見えるとか、散々ダメ出ししてサクサク買い物。
カジュアルとは言え、ジャケットは持っていないと‥ということで、それだけはさすがに2万円程度のものを買わせた。


「GUの買い物で安く済んだ〜」と喜んでいるのに、ジャケットは出しても7,000円ぐらいなんて言い出すので、家計から1万円出してあげるからと説得という名のゴリ押しをしてまあこのぐらいなら‥というようなものを何とか買わせる。

なまじ外資系などに勤めていた私などは、男性陣もスーツにお金をかける人が多かったので、変に目が肥えてしまっているところがあって、普段からだいぶ気になっていたのだ。
大体、役職者がそんなものを着ていたら、部下は出世してもあんな程度か‥とモチベーションも下がるではないか‥と思うのだ。
私も自己肯定感が高いほうだと思うが、まぁポチの自己肯定感に比較すると私なんて可愛いレベルで、着るものが安物でも他人からの自分の評価が下がるなどありえない‥と思っているようだ。
大したものだ‥と思う。

私は仕事で色々と決断やら判断やらすると、プライベートではなにも決断したくないタイプで、自宅でまで意思決定のエネルギーをあまり使いたくない。
だから、どこに出かけるか?というような話のときには、「ごめん、疲れているから、決めるの疲れるから、決めて、文句言わないから‥」と言い出すときも多い。
(だから、御飯作りも嫌いなんだとおもう‥献立を考えるのがつらい)

ポチはまったくそういのが苦にならないそうで、そう言うと大体引き受けてくれるのだが、どうも服を選ぶのはとても疲れるようで、この日はとっても感謝された。
どうやら、黒い服・青系が多いのもそういう理由だったようだ。
黒い服は、質がある程度よく、きちんと手入れされていないと他の色の同じものより安く見えるし、青い色は悪くないだが時々顔色がよくないように見えて、うーんと思っていた。
この人は日本人にしては珍しく、ピンクやらきれいな柔らかい色が似合うので、試着させて納得させて買わせた。
洋服に関しては、私は多分かなり決断が早い。
パパっと試着して、鏡を見ればそれで済むのに‥とむしろ時間がかかる人がよくわからない。
値段的に迷うというのはわかるんだけれどね。

こういうお金の使い方は伝染してくるのか、私もきっとこの夏の買物は、無印良品のリネン(トップス2枚+スカート2枚)で終わっちゃうかもしれないなぁ‥などと思っている。
顧問先の企業はどこもカジュアル導入が進んで、私だけビジネススタイルというのもなんだかおかしな感じだし、普段はスーツの会社も私がファシリテーターを務めるような週日のオフサイトミーティングなんていうのは、できるだけ普段と違う格好をするようにと、むしろ、カジュアルでの参加が条件だったりする。
営業同行ぐらいしか、ビジネススタイルというのもなくなりつつあるし、同行は大体まとめて1日に三件がぐらい訪問するので、そう何枚もいらないのだ。

上記のようなビジネス上の変化に伴う理由もあるけれど、最近しみじみ思うのは、洋服の高い安いよりもどうやって、スッキリした体型を手に入れるのかのほうが、大問題なんだよなぁ‥ということが、年齢とともに大きくなってきた。
もう高い品質やデザインだけじゃ、ごまかせないので、お金をかけなくなってきた‥というほうが大きな理由かもしれない。

 

 

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錦糸公園のバラ、この暑さとすぐに終わってしまいそう…。

 

 

 


本の貸出票

図書館から借りてきた本に貸出票がはさまっていた。
誰かが借りた本のリストだ。

貸出票の内容は、以下の通り。

「熟年離婚の相談室」
「わたしのウチには、なんにもない」
「わたしのウチには、なんにもない 2」
「図解ワイン一年生」
「台湾ランキング&得テクニック!」

時々、はさまっている貸出票を眺めて、これらの本を借りたのはどんな方なのかなぁ‥と思い巡らすのは楽しい。

50代ぐらいの子供の手が離れた女性かな?と思った。
ある程度時間に余裕がないと、片付けの本は読まないような‥、そして旅行の本。
お仕事をしていても、ぎっちりフルタイムというよりは体力・気力が残るようなタイプのお仕事かな?

子どもが手を離れて、ふと時間に余裕ができてこのまま老後もこの夫と一緒に過ごす?「卒婚」なんて言葉も流行っているし、夫婦の関係を真剣に考えてみるのもいいのでは‥なんて考えだしたのでは‥と想像。

「熟年」と考えると60代も考えられるけれど、なんとなく私のイメージでは60代は海外旅行はツアーが多いような気がするのだけれど、どうだろう?

「美味礼賛」を書いたブリア・サヴァランは「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間か言いあててみせよう」という言葉で有名だけれど、私だったら相手がどんなものを読んでいるかのほうがずっとその人らしさが出るように思う。

 

 

ちなみに私が借りた本はこの中の「図解ワイン一年生」。
ビジネス系ニュースサイトに取り上げられていて、面白そうだったので借りてみた。
ワインの葡萄の品種を漫画のキャラクター化して説明してくれる本で、読みやすくわかりやすく、とっつきやすい本。
ヨーロッパ以外のワインの特徴も解説されていて、入門書にとてもいい本だと思う。






ちなみに一緒に借りたのは、

 

「池澤夏樹、文学全集を編む」
「ロイスと歌うパン種」
「キラキラ共和国」

さて、あなたは私をどんな人だと判定するだろう?

 

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追伸:昨日は東京もひどい雨でしたが、今日は晴天。今週は暑い日が続くみたいですね。


ケーキと家事のはなし

このところ、ケーキを食べる機会が多い気がする。
ごちゃごちゃしたパフェとか、アイスクリームののったやたらにデコレーションが多いパンケーキなどは、苦手なのだが、シンプルなケーキは好き。
それでも一人で食べるほどには好きでもないので、私などはケーキ好きというカテゴリには入らないのだと思う。

今日は田村町木村屋さんのケーキをいただいた。
三田店はランチも美味しくて、これにプラスして250円でケーキがつけられるとってもコストパフォーマンスのいいお店だ。
場所がわかりにくいせいか、コスパのわりにさほど混んでいないのと店員さんみなさんがキビキビと忙しそうにお仕事しつつも、とても感じが良いのがまた素敵だ。

自宅からの徒歩圏内にあるサンレモンさんのケーキもお気に入り。
こちらも家族で営まれている感じのいいお店だ。

我が家では家事の分担は、ポチ(夫)が料理&犬の散歩、私がそれ以外とざっくり分かれている。
一緒に暮らす話が出たときに、せっかく子供も手を離れ、結婚生活も終わりようやく一人になれたのに、50歳ちかくにもなってまた誰かの面倒をみるのはごめんだ‥という話をポチにはした。
ポチの言い分としては、掃除と料理は自分がやるから、その方が楽なはずだ‥ということだった。
まぁこれだけでなくポチはメンタル的にも経済的にも一人で暮らすにはちょっと無理がある状態だったのもあり、なし崩しに一緒に暮らし始めた。
(この辺りは、愛情というよりも双方の間の長い友人関係に基づく友情が大きい気がする。どうも私は変なところで友人に甘いのだ)

‥が、料理とその洗い物以外はサボりがち。
掃除はどうなった!としょっちゅう言わないとならないし、見張ってないとやらない(子ども…?)ということで私のストレスが…。
そんなところに犬がやってきた。犬は毎日トータルで2時間散歩に行かないとならない‥という犬種だった。
家にきた時期が秋だったのもあり、寒いのが苦手な私に代わって熱心に散歩に行ってくれていたので、なんとなくなし崩しに掃除は私が引き受ける感じになった。

ところが、ここにきてポチの仕事が少しずつ忙しくなると、朝食のあとの洗い物が回ってきたり、帰りが遅いので私が散歩に連れて行ったり‥というのが増えてきて、ストレスというよりも、仕事の時間を奪われるのに閉口していた。
この手の家事の問題点は時間が決まっているということ。
掃除や洗濯はあとでまとめて‥というのができるけれど、この手のものはためておくことができない。

で、なんかそれってズルくないか?と不満がたまってきた。
私が忙しくても、掃除も洗濯も全部残っているのだから。

で、この不満を解消すべく、ポチの仕事を代わりに私がやった場合には、サンレモンのケーキを買ってもらうことにした(ここでようやくケーキの話に戻る)

ホワイトボードに「正」の字を書いて、1回ごとにケーキを買ってもらう、3回分溜まってしまったら、ケーキではなく外でお酒をご馳走してもらうことにした。
そうしたら、なんと無理やりにでもやるようになった。
「あんたってそういう性格だよね…」と冷ややかに見ているが、まぁ問題解決に至ったとも言える。

ちなみにポチは、デートの際に遅刻を立て続けにするようになり、「これから待ち合わせに遅刻したら、その日の御飯はご馳走してね」という話になったら、まったく遅刻しなくなった。

犬のしつけも、子供を育てるのも、夫を育てるのも、どれも同じぐらい手がかかる‥というのが、このところの私の結論である。

 

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完OFF:天覧山・多峰主山・吾妻峡

日曜日は完全にオフにしたほうがいい気がしてきた。
私はフリーランスになってから、アポイントが多い日でなければ、概ね3〜5時間程度の仕事をしている。土日も大体そのぐらいの時間は仕事にあてている。
ガッチリ休んでしまうよりもそのほうがペース作りにも、体調的にも合っていた。

夫(ポチ)は休めるとなれば、徹底的に休む人だ。
休みは家のご飯作り+洗い物、犬の世話のみ。
サラリーマンではあるが平日もアポイントがなければ自宅にいたりするのだが、仕事をしているのはみたことがない。たまに仕事の話をして、何かしらアイデアをつかんでいることはあるようだけれど、これはたまたまそうなったという結果なので、自発的に仕事をしているというのとはちょっと違う。

この人を見ていると、なんだかこっちまで休みたくなってくるのだ。

この週末は、土曜日はひたすら大学の課題に取り組み、日曜日は完全にお休みにした。
くるみ(ミニチュアシュナウザー 1歳1ヶ月)を連れて、飯能へ車で出かけ、天覧山・多峰主山・吾妻峡というコースで自然と楽しんできた。
くるみは散々ぱら走ることができて、大満足という様子。
これだけ喜んでくれるともっと連れていってあげたいなぁと思う。

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これが子供だと楽しみもするが、途中「つかれた」「お菓子食べたい」「暑い」などと文句が多いものだけれど、犬というのはこの辺りが大変楽だったりする。
子育てを自然の多いところでしたいという発想は、48年間江東区以外の場所に暮らしたことがない私にはないのだが、くるみを見ていると田舎で育てたい‥と思うことはしばしば。

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曇りの予報で出かけていったのだが、行ってみたら午前中はかなり暑くなり、涼しいのを期待していったところ予想が外れた格好になったけれど、やっぱり青空+新緑というのはとても気持ちがいい。
河原遊びも楽しかった。

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朝は7時に出発して、自宅に戻ったのは2時半。
山で遊ぶと短い時間でもうんと遊んだ気がするし、満足度もすごく高い。
3時間ほど昼寝をして、夜は近所のお店でワインとこの日に知り合ったやっぱりご近所からいらしている常連さんとあれこれおしゃべりして楽しく終了。

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ひたすら休む日曜日、いいかもしれない。

 


村上春樹初期の三部作を読みながら

「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」を読み返していたら、初期の三部作を読み返したくなってきた。
どれも文庫で持っているのだが、すぐに手元にないのでKindle版を購入。

講談社文庫の白っぽい字面と電子版は印象がさほど変わらず、違和感なく読むことができた。

「風の歌を聴け」 「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」のうち、「羊をめぐる冒険」は不思議な耳をもつキキ(この作品では名前が出てこないのだが、「ダンス・ダンス・ダンス」で名前が出てくる)が好きでちょくちょく読み返しているのだが、最初の2作は読み返してみると、こんな話だったっけ?と思う部分が多い。

改めて読み返してみると、村上春樹の近年の作品のに頻出する「大きな暴力」「井戸」といったものがこの当時の作品の中にも少しずつ入っていたことがわかった。
当時はそれがこの作家について大切なこととは全くわからなかった。
ひょっとすると作家自身にもそうだったのかもしれない。

家族に色々と変化があり、暮らしていたマンションを売却しようと考えている。
このときにネックとなるのが、私の持っている本。
随分と処分してきたが、それでも捨てきれないものが何冊かあって、まだ壁一面の本棚分ぐらいは残っている。
この機会に電子書籍にできるものは電子書籍にしたいのだが、村上春樹ほど売れている作家でも、電子書籍になっていないものは結構あるようで驚いた。

特に「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「海辺のカフカ」のような重要な作品がないというのはショックだった。
「懐かしの一九八○年代 ‘THE SCRAP’」なんていうのは、無いだろうな‥とは思っていたが‥。
こうなってくるといちいちチェックしてから、処分しないと危険なことになりそうだ。

初期の作品の力が抜けた感じ、世界との距離の置き方は、やっぱり今でも魅力的で読んでいると自分もなんだか軽くなってくる気がするし、すーっと色んなことから距離を置いて全体を眺める場所に自分を置くことができるように感じる。

現在の作品はそれに比べると随分と重たくなった印象だけれど、それはそれで重層的なからくり箱のようでやっぱり惹きつけられる。
同時代に生きている作家というのは、一緒に作家と作品の変化が味わえるというのが醍醐味だと思う。

アートも同じで、印象派のような亡くなった作家の有名な作品も素晴らしいが、同時代のアーティストが次はどんなものを発表していくかを観ていくのははやっぱり面白い。
現代アートというのは作品そのものよりも、変遷をリアルタイムに見られるところが強烈にその次代と作品の結びつきを感じられて別の喜びがある気がするのだ。












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ちょこっと近況報告

気がついたら、ずいぶんと間が空いていた。

4月からずっとプライベートにいろんなことがあって、途中連休を挟んでまた色々あって、ようやく平常運転になりつつある。

(色々あった話は、ぽつりぽつりと仕事用のブログのWeekly Reviewという記事に書いています。)

 

花粉がおさまってきて、新緑の季節だわ‥と思っていたら、蒸し暑い日もちらほらとやってきて、日本って実はとても気候的に住み難い場所なのではないかと感じている。

ぼーっとしている間に、大学も新年度が始まり、ボーッとしていたら、スクーリングの前提条件になる科目の提出をうっかり忘れていて、気がつけばスクーリングが来年度まで受けられない科目がたくさんでてきてしまって、こりゃ卒業まで頑張って3年で終わらせようと思っていたけれど、4年掛かることがほぼ確定してしまった気がする。

まぁ、でも本当はそのぐらい掛けて学ぶ科目ばかりのような気もするので、いいかな‥と思う。

 

このところ、犬の散歩以外に身体を動かす機会がなくて、体調的には問題ないのだが、もっと心拍数とか上げるタイプの運動がしたいな‥という気分になってきた。

その手の運動は、気力が充実するし、前向きになるし、ストレスも減る。

身体的な健康のためにというよりも、精神的な健康のために‥やりたいと思って、久しぶりにプールに行こうかなぁと思っている。

身体面としては、体重の数値よりも体脂肪率を気にしたほうが見た目には効くのではないだろうか‥というのも考えていて、今は27%前後をいったりきたりしているのだけれど、25%ぐらいまでできるのかやってみたい‥とチラチラと考えている。

 

そんなところが最近の関心事。

平和ってことだなぁ・・・と思う。

 

 

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