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村上春樹初期の三部作を読みながら

「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」を読み返していたら、初期の三部作を読み返したくなってきた。
どれも文庫で持っているのだが、すぐに手元にないのでKindle版を購入。

講談社文庫の白っぽい字面と電子版は印象がさほど変わらず、違和感なく読むことができた。

「風の歌を聴け」 「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」のうち、「羊をめぐる冒険」は不思議な耳をもつキキ(この作品では名前が出てこないのだが、「ダンス・ダンス・ダンス」で名前が出てくる)が好きでちょくちょく読み返しているのだが、最初の2作は読み返してみると、こんな話だったっけ?と思う部分が多い。

改めて読み返してみると、村上春樹の近年の作品のに頻出する「大きな暴力」「井戸」といったものがこの当時の作品の中にも少しずつ入っていたことがわかった。
当時はそれがこの作家について大切なこととは全くわからなかった。
ひょっとすると作家自身にもそうだったのかもしれない。

家族に色々と変化があり、暮らしていたマンションを売却しようと考えている。
このときにネックとなるのが、私の持っている本。
随分と処分してきたが、それでも捨てきれないものが何冊かあって、まだ壁一面の本棚分ぐらいは残っている。
この機会に電子書籍にできるものは電子書籍にしたいのだが、村上春樹ほど売れている作家でも、電子書籍になっていないものは結構あるようで驚いた。

特に「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「海辺のカフカ」のような重要な作品がないというのはショックだった。
「懐かしの一九八○年代 ‘THE SCRAP’」なんていうのは、無いだろうな‥とは思っていたが‥。
こうなってくるといちいちチェックしてから、処分しないと危険なことになりそうだ。

初期の作品の力が抜けた感じ、世界との距離の置き方は、やっぱり今でも魅力的で読んでいると自分もなんだか軽くなってくる気がするし、すーっと色んなことから距離を置いて全体を眺める場所に自分を置くことができるように感じる。

現在の作品はそれに比べると随分と重たくなった印象だけれど、それはそれで重層的なからくり箱のようでやっぱり惹きつけられる。
同時代に生きている作家というのは、一緒に作家と作品の変化が味わえるというのが醍醐味だと思う。

アートも同じで、印象派のような亡くなった作家の有名な作品も素晴らしいが、同時代のアーティストが次はどんなものを発表していくかを観ていくのははやっぱり面白い。
現代アートというのは作品そのものよりも、変遷をリアルタイムに見られるところが強烈にその次代と作品の結びつきを感じられて別の喜びがある気がするのだ。













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