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2019年7月

我慢のし過ぎと自己責任

”私が二十代半ばだった頃は、ちょうどバブル真っ盛りである。
特に恩恵を受けた記憶はないが、少しばかり無茶な生き方も許されそうな勢いと雰囲気が社会に横溢していた。”

2019年7月21日読売新聞朝刊「始まりの1冊」より作家・朱川湊人さんの言葉

1963年生まれの朱川湊人さんと1971年生まれの私は8歳ちがい。
私は当時、高校・専門学校へと通う学生だったから、当然にバブルの恩恵みたいなものは受けていないが、こういう空気があったことは、よく憶えている。

最近、30代前半ぐらい方たちの話を聞いていると、よく感じるのが、とにかく先を考えて、手堅く生きることを目指している人が多いなぁと思う。常に保険を掛けているような印象を受けるのだ。
人生の博打は、小さなものでも大きなものでも打たない。

それは多分、彼ら彼女が生まれてから、「少しばかり無茶な生き方も許されそうな勢いと雰囲気」を感じることがなかったからなのかもしれない。

博打のない手堅い人生が悪いというのではないし、無茶な生き方を薦めるわけでもないが、一つ気になるのは、手堅く手堅く考えて動いているのに、ずっと先の心配に取り憑かれているように見えること。
手堅い分、心のゆとりみたいなものがあるように見えない。

もうちょっと、身体全体の力を抜いて、手堅く作り上げてきた暮らしをゆっくり味わってもいいように感じるときがある。

この世代の嫌う「猛烈サラリーマン」とか「社畜」とかいう言葉は、会社に人生を支配されている人をきっと指す言葉なのだろう。

その一方で、正しく間違いない人生を全うすることに一生懸命なりすぎると、なんというかそれはそれで、別の何かに支配されてしまうのじゃないのかな‥と。

手堅い人生を生きている人は、常に先の準備と心配をしている。
だから、そうできなかった人に厳しいなぁと、見ていて感じることもある。
流行りの「自己責任」だ。

年齢を重ねて、私が最近感じるのは、人は自分が我慢して無理したことを、誰かが同じように我慢して無理しないことに厳しい。
例えば、身体の具合が悪くても無理やり出勤していた人は、具合が悪くて休むという同僚や部下にいい印象をもたない(口や態度に出すかどうかは別にして)
自己管理がなっていない‥と大騒ぎしたりする。

もともと身体が丈夫で、休む必要がない人というのは、休む人がいても仕事に支障がない限り、特になんとも思っていないように見える。

子供のいる女性が、同じように子育て経験者の女性上司に下についたら、子育てに理解を示してくれるどころか男性の上司よりずっと厳しかったというのもよく聞く話だ。

私は仕事でもプライベートでも、時間に遅刻をしない人なのだが、すごく苦労してそうしているわけではないから、遅刻の多い部下があまり気にならなかった。
(客先との打ち合わせの遅刻は無茶苦茶怒るけど)
前日、遅くまで残業になってしまっていたしな‥などと、傍観していると、隣の部門長から「yoshikooさんはもっと部下に規律を持たせないと…、前日の残業と朝の遅刻は別です」などと言われた。
今、考えると多分この人は、遅刻をしないように毎日とても努力していたのだと思う。

そういうのを見聞きしてきて、自分自身のためだけじゃなく、自分の周囲の人々のためにも人間は我慢し過ぎたり、したくない努力をし過ぎたりするのは止めたほうがいいんじゃないかなぁ‥と最近ぼんやり思っている。

 

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モノの整理と気持ちの整理

家族環境があれこれ変わったので、10年以上暮らしたマンションを売却することに決めたのは、確か今年の4月の後半だったと思う。
まず娘の友人が引っ越し、娘が引っ越し、そして母が6月末に引っ越していき、ひたすらマンションの中を片付けた。

ようやく先週末に片付けを完了した。

物を持っていないほうだと自他ともに認める私だが、こういう大きなきっかけがないと手放せなかったものは結構ある。

本はダンボールで14箱ほど、買取業者に引き取ってもらった。
引取金額は4万円ほどで、そのままボランティア団体に寄付して貰える仕組みになっている。
良い仕組みだ。
それでもまだ本は、今の自宅にあるものと合わせると7箱分ぐらいはあるだろう。
それらもまた、ある程度の時点で寄付に回せると思うと、心置きなく買うことができる。(←駄目な人の発想)

モノを手放そうと思った時に、もっとも困るのは、思い出の品だ。
ノンノン(一人娘・27歳)の保育園の連絡帳とか、どう考えても使いみちという意味ではないのだが、毎日のお散歩に行った様子や保育園の様子などが保母さんたちから書かれていると、母の日や運動会などのイベントに描いた絵などよりも、手放しにくい。

アルバムは、ノンノン自身は新居に置く場所がないからと持っていかないのだが、さりとて捨てるというのもできず、結局はトランクルームに持っていくことにした。
当時はもちろんフィルム写真だから、現像してあるものがほとんどで、現像したときもらったポケットアルバムにとりあえず突っ込んであるものとか、そのまま封筒に入っているものを、選別して残しておきたいものは、きちんとしたアルバムに貼ったりという作業は思いの外時間が取られた。

子育ては、パパ(2番目の夫)とずっとしていたので、当然写真はどれもパパも一緒で、整理しているとパパだけの若い頃の写真なども出てきたので、一緒に写っている写真を簡単なアルバムにファイリングして送ることにした。
別れた時に持っていかなかったので、この手の現像した写真はまったく持っていないはずだ。

写真を整理していたら、なんだか2度目の離婚についての気持ちが整理されてきた。
整理がついていない状態で、別れたつもりもなく、もちろんその後にそんなのを抱えたまま再婚したつもりもまったくなかった。

しかし、考えてみれば、ろくすぽ話さず別れてしまった。
一緒に住んでいるときは、アルコール依存がひどくなり、話し合いにならず、話し合うと余計アルコールが増えるという悪循環で、これは 妥協点を見つけるのは難しいなと思い、別居した。
別居したらさすがに向こうも何か言ってくるだろう、話し合おうと言うだろう‥と私は思っていたが、特にそういうこともなくて、向こうもこちらもお互いのいない生活に落ち着いてしまい、じゃぁまぁと籍を抜いた。

籍を抜いた後も、たまには二人で呑んだりすることもあるし、ノンノンの結婚の話などが出れば相談する相手でもある。

古い写真を見ていて、なるほどこういうことがあって、こういう風に転居をしたりして、その頃はこんな仕事をしていして、という家族の流れがなんという年表のように見えてきた。
歴史の年表と同じように周辺登場人物の出入りもあって、私達も年齢を重ねて変化していったが、他の登場人物たちも変化していったのが俯瞰できる。
そうしているうちに、なんだか前の結婚生活が終わったことと、このマンションで最後の子育て期間が終わったことが、自分の中の本棚のような場所にきちんと保管され、自分の心のスペースのようなものがスッキリしたモードになった。

自分では気がついていなかったが、散らかった引き出しのようなものだったのかもしれない。
引き出しが閉まっているから、目につかないが、本当はどこかでその引き出しをいつか片付けないとならないと薄っすら思っていたのかもしれない。

自分でもわからない。

わかっているのは、とにかく終わったということだ。

さて、後は不動産屋さんに一切おまかせ。
梅雨もさすがにそろそろあけるだろうし、しばらく行けなかったプールも再開しよう。
子供たちの夏休みで、混雑していて…心折れていかなくなりそうな気もするけれど。

 

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追伸:

ちょうど約1ヶ月後に、第2回目の読書会を開催します。
今回の開催場所は、清澄白河駅にある東京都現代美術館です。

本が読み終えられなくても、楽しめるように当日の工夫もあり、今回初参加という方も多いので、ご興味のある方はぜひ下記ページをご一読ください。

仕事、プライベート、といういつもの場所とははまた違った場で、見知らぬ人と話すというのは、結構楽しいですよ。

サードプレイス  ~一緒に本を読む会~ 第2回 申込受付開始

 


ピリピリ

朝、目が覚めたら、なんだか自分が静かだった。
変な表現だけれど、ちょっとズレているけれど、他にうまい言葉が見つけられない。

ひょっとして、昨日、一昨日と、私は機嫌が悪かったのかしら?

自分で全く認識していない不快なものというのは結構あると思う。
例えば、打ち捨てられたような店舗が、ある日その通りからなくなったことで、すごくスッキリした気分になったり、静かなところに泊まってみたら、自宅の周囲は結構車の音がうるさかったことに気づいたり。
無くなってみてみて、初めて自分はそれに対して、実は小さなストレスを感じていたのかーと気づくことって、誰にでもあるように思う。

上手く言えないけれど、今朝、私が感じたのは自分の中に数日ほど、ちょっとしたピリピリする静電気みたいなものがあって、それが急に消えた感じなのだ。

ひょっとして?
ここ数日、ポチ(夫)がイライラしているなぁ、物言いが邪険だわ・・と感じていたのは、ポチがイライラしていたのではなく、私がイライラして感じ方が過敏だったのかしら?

私の好きな「しいたけ占い」によれば、山羊座の人というのは、どうもすぐに他人に見切りをつけてしまい、「はいはい、もう結構ですよ。自分でやりますから。」という風に抱え込むことがある傾向のようだ。
初めてその話を読んだときには、それは私の個人的な性格だとは知っていたが、山羊座の特性だとは知らなくて、ビックリした。

人に頼むのは、いろいろと面倒なので本当は一人でやってしまいたい。
期待して、相手が期待に応えてくれないと勝手だけれど、傷つくので、できるだけ期待したくない。
ということで、自分から距離を置いているつもりはなくても、こちらが相手を頼らない、甘えないことで、相手からは私に対して、距離を感じるという人は多分多いと思う。
おかげで変な人からしつこくされたり、やたらに距離を縮めてこられて困るということもないのだが、その分、何かしらデメリットも多分あるのだろう。

で、話を戻すと、私はポチがイライラしていると思っていたので、やや距離を置いていたのだが、もしかして自分の機嫌が悪いところからきているとなると、根本が全く違うわけだ。

ちなみに今朝は起きてきたポチも機嫌が良くなっていて、物言いも柔らかくなっていた。

結局、お互いにたまたま機嫌悪かったのか、私の機嫌の悪さにポチが伝染したのか、はたまたその逆か、どうもよくわからなかった。

まぁ、とりあえず朝ごはんに作って食べたピリ辛ひき肉のネギごまパスタサニーレタスの中華スープ、見切り品のプラムが美味しかったので良かったとしよう。

ちなみにパスタは全粒粉パスタと鶏ひき肉にレシピを変更。

果物は最近、見切り品にハマっている。
果物を食べない理由は、値段が高く、食べる時期をついつい逃してしまい駄目にしがち、買い物が重たい‥から、と認識していたが、よく行く駅ビルの八百屋に見切り品の果物があることを知り、そこで買うようになって、もう一つ理由があることに気がついた。
果物コーナーがわりと充実している八百屋で選ぶのが面倒だったのだ。
見切り品は種類が少ないから選びやすい。
熟しているので、すぐに食べられる上に、値段も半値なのが有り難い。

全粒粉パスタ、鶏肉、果物‥という食事は、先日聞いた講演会の影響。
ご興味がある方は、こちらをどうぞ。

講演「科学的エビデンスに基づいた本当に健康になれる食事」

すごく長いので、お暇ときにどうぞ。

 

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