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我慢のし過ぎと自己責任

”私が二十代半ばだった頃は、ちょうどバブル真っ盛りである。
特に恩恵を受けた記憶はないが、少しばかり無茶な生き方も許されそうな勢いと雰囲気が社会に横溢していた。”

2019年7月21日読売新聞朝刊「始まりの1冊」より作家・朱川湊人さんの言葉

1963年生まれの朱川湊人さんと1971年生まれの私は8歳ちがい。
私は当時、高校・専門学校へと通う学生だったから、当然にバブルの恩恵みたいなものは受けていないが、こういう空気があったことは、よく憶えている。

最近、30代前半ぐらい方たちの話を聞いていると、よく感じるのが、とにかく先を考えて、手堅く生きることを目指している人が多いなぁと思う。常に保険を掛けているような印象を受けるのだ。
人生の博打は、小さなものでも大きなものでも打たない。

それは多分、彼ら彼女が生まれてから、「少しばかり無茶な生き方も許されそうな勢いと雰囲気」を感じることがなかったからなのかもしれない。

博打のない手堅い人生が悪いというのではないし、無茶な生き方を薦めるわけでもないが、一つ気になるのは、手堅く手堅く考えて動いているのに、ずっと先の心配に取り憑かれているように見えること。
手堅い分、心のゆとりみたいなものがあるように見えない。

もうちょっと、身体全体の力を抜いて、手堅く作り上げてきた暮らしをゆっくり味わってもいいように感じるときがある。

この世代の嫌う「猛烈サラリーマン」とか「社畜」とかいう言葉は、会社に人生を支配されている人をきっと指す言葉なのだろう。

その一方で、正しく間違いない人生を全うすることに一生懸命なりすぎると、なんというかそれはそれで、別の何かに支配されてしまうのじゃないのかな‥と。

手堅い人生を生きている人は、常に先の準備と心配をしている。
だから、そうできなかった人に厳しいなぁと、見ていて感じることもある。
流行りの「自己責任」だ。

年齢を重ねて、私が最近感じるのは、人は自分が我慢して無理したことを、誰かが同じように我慢して無理しないことに厳しい。
例えば、身体の具合が悪くても無理やり出勤していた人は、具合が悪くて休むという同僚や部下にいい印象をもたない(口や態度に出すかどうかは別にして)
自己管理がなっていない‥と大騒ぎしたりする。

もともと身体が丈夫で、休む必要がない人というのは、休む人がいても仕事に支障がない限り、特になんとも思っていないように見える。

子供のいる女性が、同じように子育て経験者の女性上司に下についたら、子育てに理解を示してくれるどころか男性の上司よりずっと厳しかったというのもよく聞く話だ。

私は仕事でもプライベートでも、時間に遅刻をしない人なのだが、すごく苦労してそうしているわけではないから、遅刻の多い部下があまり気にならなかった。
(客先との打ち合わせの遅刻は無茶苦茶怒るけど)
前日、遅くまで残業になってしまっていたしな‥などと、傍観していると、隣の部門長から「yoshikooさんはもっと部下に規律を持たせないと…、前日の残業と朝の遅刻は別です」などと言われた。
今、考えると多分この人は、遅刻をしないように毎日とても努力していたのだと思う。

そういうのを見聞きしてきて、自分自身のためだけじゃなく、自分の周囲の人々のためにも人間は我慢し過ぎたり、したくない努力をし過ぎたりするのは止めたほうがいいんじゃないかなぁ‥と最近ぼんやり思っている。

 

20160712-092906

 


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