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欲と好奇心と妄想のはなし

このところ、寝しなに「あるノルウェーの大工の日記」という本を読んでいる。
タイトル通り、ノルウェーで大工として働く著者の日々が綴られている。
大工仕事の細かい専門用語も結構多いので、よくわからない部分もあるのだが、真摯に仕事に向きあう毎日の話は、どこの国でもどんな仕事でも共通していることがあるんだな‥と感じる。

 

仕事というのは、外でお金を稼ぐ仕事でも、子供や家族の世話をするという仕事でも、いわゆる身の周りの家事でもなんでも真剣にやるほうが、ずっと楽しいと最近思うことが多い。

山に登るなんていう遊びも、体力は使うし、入門者だろうが上級者だろうが危険があるため、真剣にならざる得ないそんなところが、また魅力的なんだと思う。
そう考えると遊びも趣味も、真面目に取り組むほうが多分奥が深くなって面白い。

仕事との違いは締切がないことと、MUST(しなければならない)があるかどうかの違いだけのような気もする。

そんなふうに感じるようになって、対自分比であるが、私は以前より物事に集中して取り組んでいるような気がする。

その一方で、なんだか自分がいろんな意味で、「欲しいもの」とか「なりたいもの」とかそういう人生に対する「欲」みたいなのが、薄れてきてしまっていることにちょっとびっくりしている。

昔は何かを始めると目標設定みたいなものが、自分の中にあった。
例えば、大学でデザインの勉強を現在しているけれど、昔だったらもっと並行してWebデザインの勉強を本格的にしてみようかとか、その手の仕事も少しやってみようかとか、卒業したら大学院も考えようか‥とかなったと思う。

美術つながりの話でいくと、なんでかさっぱりよくわからないのだが、「ヴァロットン展 三菱一号館美術館」という記事のアクセスがすごう伸びていて、これは単純に展覧会に行った感想で、別に何も詳しい話もないし、かなり前の展覧会だし、なんでそんなにアクセスされるのか、私にもさっぱりわからない。もっと詳しい記事はいっぱいある。
特に有力な記事からリンクされているわけでもないようだし。

展覧会の感想記事はたまにこういうことがある。
昔だったら、「よし、ではもっと展覧会の記事をちゃんと書いてみよう、どのぐらいアクセスが変わるか見てみたい」とか、そういうことを発想したと思うのだが、今は「不思議だわ〜」ぐらいで終わってしまう。

先日に開催した読書会も、よく「将来的にはどういう方向性で進めるのですか?」聞かれるが、全くなんにも考えていない。
読書会って面白そうだなぁ‥と考えていたときに、たまたま一緒に本の話をするのが楽しい方がいて、その方がまたテキパキされているので、この人と一緒ならそういうのが楽しくできるかも‥と思ってはじめてみただけで。
実際に始めても、うん、やっぱり面白いな‥とは思うものの、それ以上こうしていきたい‥というのがない。
少し前にも参加者の方から、「どんどん人数増えちゃったらどうするんですか?」と聞かれたけれど、「うーん、グループ分けますかね…、別に課題本についてのなにかの結論を出す会でもないですしね…」としか、答えようがなかった。

何かを軸において、自分を成長させようとか、拡張させようとかなくなってしまった気がする。
逆にいうと、自分はそういうのがあんまりないと思っていたのだが、結構あったんだな‥と気づいた。若い頃はもうちょっと「欲」があったんだな‥と。
多分、「欲」でもあり「好奇心」でもあってそれが混ざり合っていて、その時時において、どっちかが強く出たり、弱く出たりしていたのだと思う。
おそらく最初は「好奇心」、これをやってみたらどうなるだろう?で、たまたまそれが上手くいったりすると、「欲」に変わってくる。「あ、この路線行けるんじゃないの?」となっていたのだと思う。

変化は年齢を重ねたせいのような気もする。
それとこのところ、どういうわけかお仕事をする相手が、コーチングを含めて、20代と60代という方が多くて、両極端な世代とお話をしていると、人間って器に応じたところに落ち着くんだな‥と感じることが多くなったせいかもしれない。

書いてて思ったけれど、「欲」というほど明確な意志のあるものじゃなくて、「妄想」が減ったというのが正しいのかも。

 

Kurumi

追伸:「お母さんの話、いつもオチがないね‥」と言いたげなくるみ。ごめん。


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